仮構の告白


 久しぶりに読んだ作者。近年は意固地な自意識をどう切開していくか、に焦点を合わせ続けているようだ。本作は、私秘的な領域と、露出された行為行動の連関に有意なものを見出そうとして、挫折するさまを描いているかのようだ。文学的な自意識に碑銘はあるのだろうか。

このスガらしきセカイ

 
 いよいよ青木率を割ってきたガースー総理。まあ数々の抑圧や横暴も、結局思い付き・気まぐれ・軽はずみの産物だったのではないかな。パンデミックという状況下で、GoToやったり有観客五輪を模索したりワクチン供給に失敗したり、現実と国民の生命ナメてるでしょ。で、いま、官邸内で孤立状態。秘書ハラが祟ったらしいね。国民の運命がカンペも読みこなせないオヤジの自己愛的プライドに委ねられてるのは、地獄だね。

 

『金曜日』も齧れば

 
 東京汚輪が終わったあとに、まあ汚いもんが飛び出てきましたね。尾張のほうから。まあ、アレが汚輪の象徴なんじゃないか。セクハラトークのオンパレードに、メダルを食らう(物理的に)。そのあと、大企業トヨタ様に謝罪行脚。リコール捏造署名に関わっただけあって、すべてが汚い。下品。恥辱。なんと輝かしいことか。

 

崩壊を抱懐する 

 
 医療崩壊、しちゃったね。いやあポンニチ政府はスウェーデンよりもスウェーデン的な集団免疫政策をとるつもりなんだねえ、泥縄なんだけれども。泥縄ですらないか。本邦の政治のトップが、見たくないものは見ないって態度だから。あとヨミウリとかの大新聞も見たくないものは報じないって態度だから。焦点は昇天するや否やって、冗談にもならない。

90年代はサブいカルチャーだったのか

 
 小山田圭吾小林賢太郎などの一連の五輪スキャンダル(だって五輪に絡んでなきゃ話題にすらならなかっただろうて)が炸裂して、にわかに注目されてる本。吉田豪Twitterで紹介してたけれども。まあ、90年代は前半はポストモダンのだらしない延長戦で、オウム真理教テロ以後にサブカルが迷走しだしてきたな、と。クイックジャパンも後半からだし、小林ゴーマニズムの右翼化もこのころだし。まあ、価値相対主義の呪いですよ。

 

ニッポンのこーうんを祈る


 東京汚輪がいつのまにか始まってた。なんで開会式もやってないのに。よくわからんですね。みんなうんこを食わされそうな本大会、受験生もうんこまみれになってみるのも一興じゃないのかしらん。っていうか、英語でunkoなのね。
 

誰がために鐘は鳴る


 ヒロシマに行ってノーベル平和賞もらうんですと。ニッポン国民の神経をさんざん逆撫でした野郎が、パンデミックの渦中で、東から西へ大移動。いったい誰が喜んでいるのか望んでいるのかわからない行動が、受賞の基準になるんかいな。ノーベル賞もオリンピックも、所詮ヨーロッパ貴族の手慰みかよ、とな。