由無草

“探偵”の転回について

内田樹の近著『私家版・ユダヤ文化論』のあとがきで、内田が講義のときにツカミに以下の台詞を言ったという。「キャロル・キングとリーバー&ストーラー抜きのアメリカン・ポップスが想像できないように、マルクスとフロイトとフッサールとレヴィナスとレヴ…

「予言」する探偵小説4-Ⅶ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています 「アンチ・フェミニスト」を自称する内田樹の、“フェミニズム批評”批評ともいうべき『女は何を欲望するか?』のなかで、ショシャナ・フェルマン『女が読むとき 女が書くとき』が、それが示した…

「予言」する探偵小説4-Ⅵ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています 笠井潔が指摘するように、たる石神の“像”は、あたかも多重人格の様相を呈するように、分裂している。先に、個々の批評戦略の故だと記したが、しかし石神の“像”がナラティヴな地平で、どこか把捉…

「予言」する探偵小説4-Ⅴ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています とは、に対する“差異”である。私たちは、本来は、の「“選択”の痕跡をのみ把捉することができるだけ」である。しかし、の目の前には、具象的な「他者」がいる。そうすると、本来のは、直面してい…

「予言」する探偵小説4-Ⅳ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています 「可能世界を含めたすべての世界のクラス」である「宇宙」。この「宇宙」とは、の固有名による直示によって、この「同一性を区画するような境界」を指示されてしまうような存在である。この「宇…

「予言」する探偵小説4-Ⅲ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています 富樫と「富樫」は、果たして、同一「宇宙」に存立しているのだろうか? ――論理的な操作を加えて、富樫と「富樫」を同一「宇宙」上に存在せしめようとしても、それは、おそらく「富樫」がホーム…

「予言」する探偵小説4-Ⅱ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています ラッセルにおいては、固有名は「短縮(省略)された記述」であるとされる。これに対して、クリプキは、固有名が記述に還元できないと論じた。――このにおいて、特個的な対象へ向けて、“名指し”の行…

「予言」する探偵小説4-Ⅰ

今回の文章は東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています 『容疑者Xの献身』という作品に対して、それを探偵小説的なアプローチで言及する場合、従来の「顔のない屍体」トリックがメインのモチーフとして、物語の屋台骨となっているという約め方は、し…

「予言」する探偵小説〜間奏

批評というテクストが、先行するテクストを俎上にのせている以上、その批評を論及する際には、必然的にそれが取り上げたテクストにも言及せざるをえない。さらに、そのような批評にも論及するとしたら――と、“批評”という言説は、さながらテクストでできたマ…

「予言」する探偵小説3

1998年に刊行された『戦後の思想空間』は、「現在が戦前だからなんですね」という刺激的な一節で始められる。大澤真幸がそのように言う根拠は、柄谷行人の「昭和・明治平行説」で、コンドラチェフの景気循環論を想起させる、六十年周期で歴史は一サイク…

「予言」する探偵小説2

柄刀一『ゴーレムの檻』は、“内”と“外”という認識、その対抗(もしくは非対抗)関係という問題意識が、個々の収録作を貫く通奏低音として流れる。表題作は、一六三〇年の大英帝国、そのとある領主町にある監獄の“永久無洗礼独房”に収監された囚人ゴーレムの脱…

「予言」する探偵小説  

大澤真幸が社会学の観点から、戦後思想の構造を分析・批評した『戦後の思想空間』(ちくま新書)のなかで、「歴史」(の記述)について、言及している。「歴史を記すということは、その過去の出来事を、(中略)既に存在している、と見なすことだからです」。「…

“探偵”の転回について

内田樹の近著『私家版・ユダヤ文化論』のあとがきで、内田が講義のときにツカミに以下の台詞を言ったという。「キャロル・キングとリーバー&ストーラー抜きのアメリカン・ポップスが想像できないように、マルクスとフロイトとフッサールとレヴィナスとレヴ…

“憲法”風景論

本日のエピグラフ シュミットは、議会制民主主義における立法過程の偽善性を攻撃する。だが、(中略)一般的公益を掲げた以上、それに即して偽善的に振舞うよう強いる点に、この政治体制の特長がある。(長谷部『憲法とは何か』P54より) 先に紹介した鈴木邦…

風景論

2006年上半期本格ベストに、三津田信三『厭魅の如き憑くもの』と森谷明子『七姫幻想』を上位二作として挙げたのは、率直に面白かったためで、決して萌えだからではありません。と言っているうちに小森健太朗『魔夢十夜』も出てきて、こりゃいったいどー…

第135回芥川賞・直木賞ブックメーカー

それでは、倍率ドン! 作者名 ・題名倍率 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」(文學界六月号) ×5 鹿島田真希「ナンバーワン・コンストラクション」(新潮一月号) ×2 島本理生「大きな熊が来る前に、おやすみ。」(新潮一月号)×3 中原昌也「点滅……」(新…

思わせぶりなアイロニスト

第6回本格ミステリ大賞の投票が、『ジャーロ』第24号(2006,SUMMER)にて公開されましたが、斉藤肇のコメントがないのです。棄権したのか、うーん残念だなあ。『弥勒の掌』が候補にならなかったからなのかも。…………私は今回はどの候補作が受賞しても、“大賞”の…

「世界の終わり」の終わらない風景

『ヨコハマ買い出し紀行』が終わってしまった。のである。 実は、この作品からいつの間にか遠ざかったままで、たまたま『アフタヌーン』を久しぶりに手にとって、アルファさんに再会しようと思ったら、いきなり番外編が載っていたので、コトの次第を知ったわ…

“容疑者”Xの再審

今回の文章は、『容疑者Xの献身』の内容に触れております。未読の方はご注意下さい。 『ミステリマガジン』7月号をパラ読みしてみると、まだやってましたね『X』をめぐる論争が。先月号で、二階堂黎人の再反論が掲載されていたので、ひとまず仕切り直しと…