諏訪哲二『学力とは何か』(洋泉社新書y)

学力とは何か (新書y)

学力とは何か (新書y)



 ポレミカルな筆致は相変わらず、学校=教育政策に関するあらゆる偽善を批判するスタンスは、まったく枯れていない。今回は、教育問題の本丸ともいうべき「学力」がメインテーマ。著者は「学力」には、「見える学力」と「見えない学力」があり、「見える学力」=テストなどで数値化できる学力に対して、「見えない学力」=生活習慣など、「見える学力」を養うのに必要な土台となるものとして、後者の育成を学校教育の基本と主張する。そして、学校教育において「見える学力」を重視するグループを、著者は「学力向上」派と呼び、このスタンスに基づいて「学校教育」を批判する論者(主に保守系)を徹底批判する。彼らに罵倒された「ゆとり・生きる力」教育に、著者は一定の理解を示すが、しかし、子どもに対する教育における強制性を否定する論者(もちろんリベラル左派系)にも、決して甘い顔をしない。「大衆教育社会」が到来するとともに、大学進学に必要なレベルの「学力」と「学習指導要領」の乖離が深まり、それを塾・予備校等で補完する傾向に拍車がかかり、かくして経済格差が教育=学力格差に直結する事態が出来するが、それよりも、子どもたちが接する「文化資本」の差異が、学力格差の原因だとする著者の見解は、正論であるけれども、いずれにせよ、大学全入時代に突入した昨今、「学力」をめぐる問題は、最終的に大学が対処しないといけないものになったわけだ。――さて、いわゆる「PISA」型学力について、著者は佐藤俊樹の文章を引いて、これを教育におけるグローバル・スタンダードと批判して、わが国の教育におけるローカリティを守れというのだが、苅谷剛彦『教育再生の迷走』でも指摘されているとおり、わが国をはじめとする「知識偏重」の「東アジア型教育」を採っている国が、総体的に、「PISA」型学力の上位を占めた。 「東アジア型教育」がグロスタになったとき、著者はどういうリアクションをするのか、気になるけれども。