辻村深月『凍りのくじら』(講談社ノベルズ)レビュー

凍りのくじら (講談社ノベルス)

凍りのくじら (講談社ノベルス)


 
ミステリアス7 
クロバット8 
サスペンス7 
アレゴリカル8 
インプレッション8 
トータル38  


 この作品で、辻村は独自の作風を確立したといっていいだろう。青春小説のオーソドキシー、その物語的起伏を、サイコ・スリラーとリリカルな成長小説的展開に増幅させて表象させ、そこにギミックを仕掛ける。『このコイ』1位の島本理生ナラタージュ』は、瑞々しいというよりは青年の主張めいた生硬さがまだ抜け切れていないように思うが、その点この作品は、登場人物の心情や振る舞いを、作品世界に過不足なく埋め込んで、違和感ない。作者がデビューしたとき、これは若竹七海の妹分が現れたな、と思ったけれども、「悪意」を描くのが上手いとされる(私は、この「悪意」のことを、手前勝手なイノセンスの表出と呼んでいる)若竹と、<人間>に対する洞察に通底するものがあるように感じるが、いやはや、なんと言っても「ドラえもん」である。私は、作者がドラえもんに思い入れがあるので、という説明を100%は信用しない。でも男女問わず、同世代作家で、あからさまに「ドラえもん」をフィーチャーした小説を書ける人って、いませんよ。「ドラえもん」とは、大澤真幸の区分で言う“虚構の時代”において、しかし辛うじて“理想の時代”=“理想の状態の欠如している時代”の空気を体現している物語だった(この場合“欠如”とは、「ひみつ道具」もしくは「二十二世紀」になるわけですね)。大澤は、現在が“ポスト虚構の時代”で、この時代において、極端な<暴力>が回帰してくると言っているわけだけれども、この見解を跡付ける様々な作品が若手作家からうみだされるなか、辻村のスタンスは実に貴重である。ヒロインが浴びた“光”とは、無限の<未来>の謂いにほかならない。…………でもさ、でもさ。彼女にはもっとストレートな心理サスペンスを書いてほしいんだよね。小池真理子倉橋由美子の衣鉢を継ぐみたいだし、国産のドメスティックスリラーって、新津きよみが孤軍奮闘してる状態だからさ。