新井紀子『生き抜くための数学入門』(理論社)レビュー

生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ)

生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ)



 
ただダラダラと生きているワタクシめのような“大人”にもわかりやすい数学入門。っていうか、もともと中学生向けに書かれたものですけれども。抽象的な「見えないもの」を見ようとすること、「それを誤解なくどの文化に属する人とも共有する、ということになると、それは論理であり数学」である。「見えないもの」について、「だから」「どうして」「どうなる」を考える力が重要なのは、現代社会における「見えないもの」たる「権利やリスクや未来」について考える力がなければ、「この社会で幸せになれる確率は相当に低いのです。それは、現代社会が、情報量と選択肢の多い民主主義社会だからです」。…………で、せっかくこのように本書のコンセプトを提示したのにもかかわらず、最後になって、「論理の限界」ってハナシが出てきて、でも「論理の限界」という認識を正確に得ることができたのも「数学の論理の力」であって、そもそも、俳句も宇宙もロックも「有限」だとして、「だからどうだというのだ? /おもしろいことはもうすでに始まっている」、それにノるのかノらないのか、と締め括るワケなんだけれども、これ余計でしょう。というか、「生き抜くために数学は必要なんだよ」というハナシから、「数学者になるの? ならないの?」というハナシにいつの間にかすりかわっている。「シラケつつノり、ノりつつシラケる」作法を自明としたのなら、とりあえずノっとくか、てな具合になるけれども、まあこれで数学を学ぶモチベーションが担保されるかっていうと、そうでないワケだし。「生き抜くための数学」という視座からは、「論理の限界」については、とりあえずそれが今のところ人間社会が採用しうる「論理」であって、生きていくためにはこの「論理」と付き合っていかなくちゃいけないけれども、もしこの「論理の限界」がちょっとずつ克服されていくようなことがあれば、あるいはこの「論理の限界」のなかででも何か新しい、「前の世紀では想像できなかったような概念」が産み出されれば、人間がそれだけ<自由>に振る舞える幅が拡がるかもしれない――というシメが良かったんではないか、まあ体の良い物言いではあるんだけれども。