太田忠司『落下する花』(文藝春秋)レビュー

本日のエピグラフ

 大切なものですよ。思いというのはどんなものであっても大切です。しかしたったひとつの思いで、そのひとのすべてが語られるわけではない。(「落下する花」P46より)

落下する花―月読

落下する花―月読


 
ミステリアス8 
クロバット8 
サスペンス8 
アレゴリカル9 
インプレッション8 
トータル41  


 本格ミステリ・マスターズ(ってもう頓挫しそうな感じ)の一冊として刊行された『月読』の続篇。作者のセンシブルな特質が遺憾なく発揮されており、特に衒った感じのない文体から小説世界が立ち上がってくる。非情に好感をもっているシリーズですね。ミステリ的にはダイイング・メッセージテーマをSF的設定を用いて巧みに変型させているのがミソ。「月導」が、ダイイング・メッセージとして十全に機能しうるほどに、<死者>の“意思=遺志”を現前させない、超自然現象としての恣意性を有している以上、その“遺言”が内実のあるものであるのか虚ろなものであるのか、言葉が遺されたという痕跡そのものが、物語におけるミステリアスな装置として機能する。物語の興味はいきおい心理的穿鑿をめぐってのものになるが、表題作と「そこにない手」はこの循環する地獄を描いた。他方、「月読」自身も単に事件の外部にいることは許されない。<死者>たちは、「月読」をも巻き込んで“遺言”もしくは“意思=遺志”を遺そうとするのだから。「溶けない氷」では「月読」自身が<死者>の想いを問いかけることになるが、「そこにない手」では「月読」がその性質ゆえ事件に巻き込まれざるを得なくなる。「般若の涙」は「月導」自体がミスディレクションとなっているが、それはまた<死者>の匿名性を暗示してもいる。固有性が担保されなければ、コトバは“遺言”とならずにただ打ち棄てられるだけなのだ。