京極夏彦『前巷説百物語』(角川書店)レビュー

前巷説百物語 (怪BOOKS)

前巷説百物語 (怪BOOKS)


 
「作り事である。/作り事ではあるが――巷の者はそれを信じている。/そうじゃねェ。/誰も信じてはいないのだ。こんな話、鵜呑みに信じる訳もない」。要するに、「巷説百物語」シリーズにおける「妖怪」とは“ネタ/ベタ”のあわいを彷徨う存在なのだ。「あまりにも荒唐無稽な話であるが故に――。/――真実の方は消えちまったンだ」。そうであれば、「妖怪」は宿命的に“ネタ”から“ベタ”に転化してしまう契機を孕んでいることなる。これが不可避であるのは、この「妖怪」が、何らかの“外傷”を癒すための“物語”として機能してしまうことにあるのだろう。あるいは、又市らの「妖怪」変化は、近代的なニヒリズムの幻灯装置ともよべるかもしれない。この幻灯は、本格的に<近代>に突入する頃には、国家=資本主義によるより大きな幻灯装置に、呑み込まれることだろう。掉尾を飾る「旧鼠」は、その予兆の物語である。――そして、<戦後>、「妖怪」という幻灯装置を、“ベタ”から“ネタ”へ差し戻しているのが、「百鬼夜行」シリーズなのではないか。それは、「消えちま」うはずの「真実」を顕わにする手段、即ち“ベタ”な探偵小説的な物語を志向することになるだろう。