内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)レビュー

ひとりでは生きられないのも芸のうち

ひとりでは生きられないのも芸のうち



 著者の「ブログ・コンピ本」最新刊。著者の「共同体」志向、その倫理性への言及が、従来のものよりも、鮮明に出ている。相変わらず、“逆説”の提示の仕方が冴えているけれども、そのうち本書のコアとなるエッセーは、「自分のために働いてはいけない」だろう。レヴィナスのエロス論を援用して、「労働」の意味性、その根拠を「他者」へと基礎づけるくだりは、著者ならではの説得性を持つ。「主体は「他者」の記号である」。つまり「主体」は「他者」を代理=表象しているということで、即ち、この<私>というものは、「他者」なくしてそれと現象しない。このような仕方で「他者」とかかわりあい、これが「共同体」の基盤となるのである。――「他者」とかかわることをやめた、抜け殻のような「主体」、別称エゴイストたちは、「想像の共同体」にしがみつく。「なぜなら、「想像の共同体」は干渉しないし、抑圧もしないし、苦役も課さないからである。(…)ナショナリズムを彼らが選ぶのは「原子化された個であることの不利」を共同体に帰属することで解消したいが、共同体に帰属することで発生する個人的責務や不自由についてはそれを引き受ける気がないからである」。要するに「想像の共同体」は居心地がいい。この居心地のよさは、無論「他者」の排除と表裏一体であるわけだけれども、「想像の共同体」から享受できる利益は正しく「想像」上のものでしかないに違いない。エゴイストたちは、霞を食って生きていく? ――にしても、この国のエスタブリッシュメントの現在の姿に、著者は飄々として、“劣化”の烙印を押していくが、とりわけ例の納豆事件のことを、「テレビが主体的にコミットした詐欺」と剔抉したのは痛快。