佐藤卓己『輿論と世論 日本的民意の系譜学』(新潮選書)レビュー

本日のエピグラフ

 格差社会が進み、「想像の共同体」が危機に瀕してい二十一世紀の日本において、世論調査はこれからも同質性と均質性を再生産し続けることができるのだろうか。(P99より)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)



 輿論=パブリック・オピニオン、即ち「公論」のこと。 
世論=ポピュラー・センチメンツ、即ち「民衆の感情」のこと。
 この両者は、明確に分かれているが、1946年11月、GHQ民間情報局=CIEが、当時の国語審議会に対して、「国語の簡易化」に向けた圧力をかけていたのを受け、その告示された当用漢字表によって、「輿」の字の使用が制限されることになる。新聞業界は、この事態に、「輿論」を「世論」に置き換えることで対処した。――かくして、「世論」=せろん、を、「よろん」と読ませる慣行が定着して、それを官公庁も取り入れることに相成った。以後、我が国では、「公論」と「民衆の感情」という、背反する二つの(政治的)意識が、混淆されて理解されることになる。…………が、「輿論」の「世論」化は、その前から、つまり戦時中から進行していたのであり、それには、「輿論(=世論)調査」の形を借りた、マス・コミュニケーション上のプロパガンダが深く関わっており、この影は、戦後の「世論調査」の上にも、長く広く覆っている――。ハーバマシアンたる著者が、「輿論=公論」の復興(即ち「世論の輿論への復員」)を目指して、我が国の「ヨロン調査」の歴史を紐解く。アンダーソンのいう「想像の共同体」は、出版文化を通じた“国語”の共有が要となるが、著者は、「世論調査」も、それと同等の役割を果たしたことを示唆する。「(…)戦時宣伝研究は、戦後民主主義世論調査研究として開花した。(…)戦時宣伝も世論調査も国民全体の同質性・均質性を理想にしている」、つまり両者は「戦争国家=福祉国家」の学知である、と。終戦記念日憲法改正、新旧安保闘争田中角栄中曽根康弘ブーム、そして天皇制と、戦後のトピックを、「世論調査」報道の分析を通して、省察するが、とりわけ、中曽根ブームを評した加藤典洋の「戦後民主主義の国民感性レベルでの地崩れ現象」、大新聞が「「世論」に対決し、「世論」に抗して「世論」に働きかける」ことをしてこなかったという批判を引いて、このような批判は、「「世論と書いてヨロンと読む」言語環境では原理的に封じられているのである。次のように書かなければ、その意図は通じない。「『世論』に対決し、『世論』に抗して『輿論』に働きかける」と」と主張するくだりに、「世論」という「空気」から、いかに「輿論」をたちあげるか、という著者の問題意識が凝縮されている。ともあれ、戦後のマスメディアと大衆意識の織りなすドラマを見るという意味でも、大変に興味深い良著。個人的には、第六章で扱われる安保闘争をめぐる「輿論」のドラマ、自由主義輿論を戦前から唱えていた樺俊雄が、愛娘を失った「六・一五」以後、立場を逆旋回させるエピソードに、なんともいえない感慨を覚える。