苅谷剛彦『教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか』(中公新書)レビュー

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)



 日本における「大衆教育社会」分析で有名な教育社会学者たる著者が、近年、教育財政の変遷の研究に没頭していることは、著者自身が明らかにしていたが、本書はその成果であり、「教育財政の知識社会学的研究」即ち、教育政策における財政措置(予算配分)を支えるロジック、いかなる思想が教育におけるお金の配分の正当性を担保したのか、その探究である。戦前からつづく、主に地方財政の逼迫からくる地域間の著しい教育格差(=教育費の不平等)を解消させるため、1958年に「義務教育標準法」が制定された。他の先進国では、ひとりあたりの教育費を算出して、全体の予算配分を生徒数に応じてやっていたが、日本の「標準法」では、学級定員の上限を定め、その学校における学級数を割り出した後、それをもとに必要な教職員数を決めて、以て予算配分を実施していく、という形式を採っていた。これは、今ある学校とそこに通っている生徒たちの数、そして限られた財源を前提に、財政負担が耐えられるように学級定員を設定し、教職員数、教育費の配分の調整をしていく意図があった。この「学級」単位の教育財政が、地域間の教育格差を劇的に改善していく*1かたわら、教育内容の均等化、共通化をも推進していくことになる。このような、日本的な教育機会の平等化(著者は「面の平等」*2という言葉で言い表している)は、それゆえに、社会階層間における教育格差の問題性を不可視化させてきた*3。また、「学級」単位の教育政策は、そこが生活共同体的機能を持つこととあいまって、その中の個々人の差異を圧する力学が働いた*4。――かくして、「大衆教育社会」は出現したが、「標準法」における「面の平等」的教育財政も、少子化によるコスト増で転換期を迎えている。制度の見直しは急務だが、少なくとも、単年度ではなく中期的な視点での教育財政の組み直しが求められるだろう。それにしても、日本的な「教育機会の平等」の実現が、ネオリベ論者以外にも、「結果の平等」に誤読されたのは、教育財政における「知られざる革命」が、どれだけ成功したか、その完全さを物語って余りある。

*1:生徒数に応じた予算配分は、生徒数の減少で、全体的に削減される可能性があった。「学級」単位の教育財政であった日本は、ベビーブーム世代が小中学校を卒業したあと、「学級」の定員の上限を段階的に引き下げることで、格差解消とともに、教育費の確保をも可能にした。

*2:空間的・集団的な集合体を単位に、資源を配分していく、という意味合いで、著者は、欧米的な「個の平等」という観念と対立させている。

*3:要するに、試験などによる「学力」の差異が、「教育機会の平等化」の実現によって、“自己責任”に帰せられた。

*4:ここで、内藤朝雄の提唱した「中間集団全体主義」の教育現場における発現性というものと、その問題意識が合流するだろう。