柳広司『ダブル・ジョーカー』(角川書店)レビュー

本日のエピグラフ

 それが嫌なら、初めからスパイになどならなければ良い。自分にはそれ、、が出来ないことを認め、安穏としたぬるま湯の人生を楽しむことが可能ならば――。(「ブラックバード」P232より)

ダブル・ジョーカー

ダブル・ジョーカー


 
ミステリアス
クロバット
サスペンス
アレゴリカル
インプレッション10
トータル44


 スパイが、「薬物中毒者」に譬えられる。なぜだろうか。求められているのは、「何物にもとらわれず、自分自身の目で世界を見ること」、「自分自身の肉体のみを通じて世界を理解すること」である。“主体”性が強化されているのだろうか。しかし、ここで言われる「自分自身」とは、空虚でしかないものだ。というより、端的な空虚の露出。このような主体からは、「世界」とは、端的な関係性、ネットワークの束としてしか見えないのではないか。「自分自身」もまた、その結節点に過ぎないという苛烈な認識は、むしろ、“主体”の解体という自意識、換言すれば、絶対的差異としての“主体”を呼び込むだろう。このような“主体”は、“歴史”から超越しながら、“歴史”に決定的にかかわっていくに違いない。