熊野純彦『埴谷雄高――夢みるカント』(講談社)レビュー

埴谷雄高――夢みるカント (再発見 日本の哲学)

埴谷雄高――夢みるカント (再発見 日本の哲学)



 カントのいう「可能性の一大帝国」を、ポジティブに反転させたのが、埴谷雄高『死霊』における「夢みる」形而上学である、というのが著者の見立てである。「現実的なもの」も「可能的なもの」も、「認識能力へのその概念の関係」であるというカントの剔抉を食い破り、「可能的なもの」が「現実的なもの」の外部に在るとするならば、この「現実的なもの」は与えられたものであり、それは「可能的なもの」によって条件づけられているという論理的機序のゆえ、「可能的なもの」の全体の思考が要請される。埴谷にとって、この「可能的なもの」=「未出現の宇宙」は、「無出現」なるものを背景にして、「出現したのに滅亡させられたために見えなくなった」存在として、即ち「死者」という他者を形而上学的思考に貫入させるために言及された。埴谷における革命と戦争の「死者」たちの影をトレースしつつ、埴谷が『死霊』で企てた「人間」存在の可能性の極限、その倫理性を追究した哲学的批評長編。