武田徹『原発報道とメディア』(講談社現代新書)レビュー

原発報道とメディア (講談社現代新書)

原発報道とメディア (講談社現代新書)



 本書の「あと書きにかえて」の末尾に置かれている、擱筆を示す日付は6月1日であり、震災と原発事故後二ヶ月強で書き上げたことになる。さらに二ヶ月経過した現在、放射性物質汚染をめぐる“ジャーナリズム”は、危機を惰性的に煽るスタンスで、ともすれば新たな“危機”を待ち望んでいるようにも見える。はやい話が、さすがに被曝リスクの考え方がマスに浸透してきたら、このような手法ではマスが食いつかなくなってきている。原発事故によって顕在化したリスク社会に、もしかしたら、大衆のほうが、報道屋を置いて、先に慣れ始めているのかもしれない。だとするならば、不確実性、確率的リスクを社会全体で引き受けつつ「基本財としての安全・安心」を確立させていくような「報道」の構築を主張する本書は、報道屋たちに倫理的な位相で改革を迫るというよりも、現実的な齟齬の修復を促すものとして機能するかもしれない。著者の提示した論点は多岐にわたるが、なかでも、マスメディアとネットメディアの個々の形態を仕切りなおして、構成した新しいメディア地図は、実に説得力に富む。ジャーナリズムにおけるリベラル・アイロニストを表明する著者は、共同体的非寛容性を退け、「基本財としての安全・安心」を確保するために、絶え間ない「反照的均衡」の作業を続けていく立場の必要性を説く。