貫井徳郎『微笑む人』(実業之日本社)レビュー

微笑む人

微笑む人



 ある事件が起こったとき、なぜその背後の“物語”が希求されるのだろうか。ある異常事が起こり、それがこちら側の世界の尺度で測られれば、どれだけ驚愕しようが、そういうものとして納得できる。そうでなければ、それは端的な“外部”として、畏怖の対象になるだけだ。畏怖を拒絶するなら、“外部”は無限に謎を供給し続ける“物語”的ソースとなる。本作の狂言回し役の小説家は、殺人者とあともうひとりの人物に「微笑」まれるが、この「微笑」は“謎めくもの”の代理表象である。と同時に、“物語”への欲望の拒絶の意思でもある。「微笑む人」が断片化するのではなく、「微笑」まれる人が、断裂するのである。