斎藤環『原発依存の精神構造: 日本人はなぜ原子力が「好き」なのか 』(新潮社)レビュー

原発依存の精神構造―日本人はなぜ原子力が「好き」なのか

原発依存の精神構造―日本人はなぜ原子力が「好き」なのか



「3・11」批評の中では、出色の作品。まず、著者の放射能危機に対する態度の変更(要するに、放射線に係わる疫学調査の結果を受け入れたということなのだが)が、率直に表明されていることが、誠実性を担保した。本書の焦点は、反原発も親原発も、「原子力の享楽」にとり憑かれているということの指摘と、これを克服するための方途が探られていることで、思想的な倫理性が類書と比べて一歩抜きん出ている。だが、思索の内容が、凡庸な他書の轍をまだ踏んでいるのだ。放射能による健康リスクは、喫煙や肥満、食生活などによる健康リスクと、それらが数値化されているかぎり、区別されるべきことではない。ところが、放射能では、被曝によって確率何%において死んでいる、といったような無用なレトリックを弄ぶエセ知識人が跋扈して、今も続いている。リスク概念を誤用して、何かを相対化しているつもりになっているわけだが、本書もその影響を被っている。しかし、エセ思想に凝り固まる輩とは違い、「脱原発」の有効的実践(=「換喩化のドライブ」)を示しえた。ただ、著者には申し訳ないが、もし「原子力の享楽」を克服できるとしたら、エコノミーの要請が第一義的なものだろう、やはり。「原子力」よりも低コストのエネルギーが開発されるか、高コストであってもそれを吸収できるだけの労働生産性が上がるか、いずれにせよ、不況克服、経済成長が「脱原発」の必要条件である。「原発」を時代遅れのエネルギーにするためには。