本日のエピグラフ
すると、本当は良心などではなく、民主主義こそがあんたたちに戦争を許し、人を殺すことを許したわけだ。(P177より)
- 作者: 柳広司
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
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ミステリアス | 8 |
アクロバット | 7 |
サスペンス | 8 |
アレゴリカル | 9 |
インプレッション | 9 |
トータル | 41 |
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小説の題材として<歴史>を扱うモチベーションは、それこそ“事象”に対するアレゴリカルなアプローチを可能にする期待に由来すると思うのだけれども、柳広司の場合、それが探偵小説の方法論と密接に結びついているのが、本当に素晴らしいと思う。――本作は、過去作『新世界』の姉妹作と取りあえず位置づけることができるし、一読すれば、過去の「戦争文学」を想起させるエレメントが鏤められている。“国家”間の分断ということによる<主体>の分裂という従来の問題性はもとより、大岡昇平から古処誠二にいたるカニバリズムというテーマもさることながら、戦争における<記憶>や<時間>の混乱(攪乱)ということでは、奥泉光の諸作が念頭にあるのは言うまでもないだろう。――しかし、やはり「穴」というメタファーである。これが、バルトのいう「空虚な中心」と同致することは明らかで、これに丸山眞男の問題意識が接合される。……登場人物のひとりであるアメリカ兵が「そもそも深い穴を覗き込むといった垂直な構図は、民主主義に反するものですよ」という。しかし、後半挿入される“悪夢”の中では、「穴」がまさにブラックホールのごとくあらゆるものを呑み込んでしまう。「穴」は見られる客体ではなく、見る主体というわけで、つまり我々は「穴」に睥睨されているということなのだが、この「穴」に「テンノウ」も「コウキョ」もろとも呑み込まれるのだ。ということは「穴」が、逆説的に“民主主義”のラディカルな可能性をも孕んでいる、とは否定できないのである。この“可能性”とは、“民主主義”という制度が、それ自体聖性を帯びてしまうということで、例えば、“民主主義”下の<国民>たちが、各々小さな欺瞞を抱えていても、それが滞積すれば<国民>たちを圧死させるだけの威力を持つ。しかし、“民主主義”という制度自体は、全くの無傷ではあるのだ。