黒田研二『カンニング少女』(文藝春秋)レビュー

カンニング少女

カンニング少女


 
ミステリアス6 
クロバット6 
サスペンス8 
アレゴリカル7 
インプレッション8 
トータル35  


 各ミステリベストテンからなぜか無視された傑作『幻影のペルセポネ』は、作者にとってもある種の到達点であるとの認識があったのだろう、それ以降、作者は“狭義”のミステリーから、“広義”のそれへと、関心を(いったん?)明らかに移したようだ。それが、この作者の小説技巧の確かさをさらにアピールするとともに、何らかのギミックも作中に埋め込まれているので、以前からの読者も全然鼻白むことはないだろう。前作『結婚なんてしたくない』は、5人のワケありシングル男たちの屈託を巧みに描いて、読んでいて楽しくなる佳作。
 天城一が、確か『島崎警部のアリバイ事件簿』の方だったと思うのだけれども、そこでのエッセーで、頭の中にカンニングペーパーがあるとしか思えないほどの記憶力を持つ先輩か同窓生だったかのエピソードを紹介して、このような人をも対等に扱う大学入試の在り方に疑問を呈していたが、本作でも、ヒロインのカンニング参謀の中心となる友人の優等生が、「頭の中にはカンペが存在する」と形容される。その友人は、分からないことは「それこそなんだって検索できちゃうでしょ?」と言い、「本当に大切なのは、無数のデータの中から必要なものだけを抽出して、そこから新しい答えを導き出す力だもん」と憚らない。同じ点数を取れるのならば、丸暗記より「絶対ばれない究極のカンニング方法を見つけ出すことに頭を悩ませるほうが、将来のためになると思うんだよね」。――笠井潔が『小説トリッパー』にて新しく始めた評論「完全雇用社会の終焉と「自由」」の初回(2006年春季号)で、戦後民主主義に先導された(戦後)教養主義が、「フォード主義的労働者を大量生産する最も効果的な規律訓練システム」と結託したことを指摘しており、フォード=教養主義体制が実現した「豊かな社会」が、「逆説的にも」この体制を解体する基盤を提供する。新体制として用意される「「ゆとり」や「個性尊重」を掲げたネオリベ的教育政策」における“教養”とは、「教養主義」による「規律訓練システム」を否定する以上、「絶対ばれない究極のカンニング方法を見つけ出すこと(に頭を悩ませること)」が、その可能性の極限を示すだろう。……本作にカタルシスを覚えるとすれば、ネオリベ・チルドレンが、“教養”へと回帰する、その可能性を含ませているからだろうが、辛辣に眺めれば、それぞれ非凡な能力を保持するヒロインのサポーターたちは、「ハイパー・メリトクラシー」(by本田由紀)の下、社会的“勝者”となり得る将来性はある程度担保されているのかもしれないが、「《けろけろケロちゃん》」マニアのヒロインが、よしんばカンニング無しで意中の大学へ入れたとしても、彼らと肩を並べるほどのポジションを得ることはできるのか。姉の変死の真相を知ることが、彼女の“自己形成”の糧になるのだとしても。…………であるわけですから、くろけん氏、これの続編を書かなきゃ、でしょでしょ。