筒井康隆『壊れかた指南』(文藝春秋)レビュー

本日のエピグラフ

 (前略)面白い部分のみ発表すればよい。小説に結末がなければいけないという法律はないのだ。(「稲荷の紋三郎」P72より)

壊れかた指南

壊れかた指南


 
 福田和也が名著『作家の値打ち』の筒井康隆の項で、担当編集者はカルビ肉を送るべきではないか、と筒井の“枯れ方”を当てこすっていたが、近年の筒井作品を見ると、むしろ老いてなお、という現況を抜け出して、奇想作家に相応しい“枯れ方”を模索しているような感がある。枯れるに枯れない滑稽さを演じるのは自意識ナシの“枯れ方”を招来してしまうのだろうし、枯れないものを“あえて”枯れようとする自意識が枯れることを遅滞させる戦略――があるのかどうか判断できないけれども。最新長編『銀齢の果て』の直後に上梓されたこの作品集は、収録作品のほとんどが21世紀に突入したあとに発表されたものだけれども、本日のエピグラフで一文を引いた「稲荷の紋三郎」はその直前に物された作品で、これは老いて恬然とする境地に達した述懐なのか、しかしこのような結論を確認しあった相手というのが京極夏彦で、百鬼夜行シリーズのあの分量の極大さは、“結末”を回避し続ける戦略ゆえということは再確認するのではあるけれど、それはともかく、ちゅうことは、“結末”から逆算してプロットを構築する探偵小説にはもう手を染めないということでもあり――『富豪刑事』の続編、やっぱり書いてくれないんだー。テレビでガマンっすかー。ふにー。…………なにはともあれ、スカトロジーの扱いについては、このひとがまだ一等だな。