森博嗣『有限と微小のパン』(講談社文庫)レビュー

本日のエピグラフ

 「貴女は、貴女から生まれ、貴女は、貴女です」犀川は答える。「そして、どこへも行かない」(ノベルズ版P580より)

有限と微小のパン (講談社文庫)

有限と微小のパン (講談社文庫)


 
ミステリアス8 
クロバット9 
サスペンス9 
アレゴリカル9 
インプレッション8 
トータル43  


 ’99本格ミステリベスト10第11位。再読再読。VRあるいはサイバースペースをテーマや舞台に選んだミステリということを考えると、例えば、岡嶋二人クラインの壺』が書かれなくても本作は物されただろうが、本作なくして瀬名秀明デカルトの密室』は書かれ得たとしても果たしてあの形に落ち着いたかと思ったり、だけれども以上の諸作がなくても黒田研二『幻影のペルセポネ』はやはり産み出され得た作品だろうと、そんなことをつらつらと考えるわけであった。
 果たして、真賀田四季とは何者か? ――真賀田四季は「女」である……端的な事実として。ニーチェは「真理は女である」とのたまう。ラカンは「女性というものはない」と言明せざるを得なかった。いずれにせよ「女(性)」は“記述”によって積極的に措定(もしくは同一)できない。「善と悪、正と偽、明と暗」。「天才」たちは「両極に同時に存在することが可能」である。となれば、「天才」とは「女」が(“象徴界”において)積極的に措定される契機となりうるかもしれない。この契機以外に、「女」が現前するとすれば――もし個体が“名前”のみの存在とすれば、それはアナグラムや換喩による表記の攪乱の圧力に晒されるだろう。だから、「女」に魅了されるという位相では同じくする四季と萌絵のふたりのうちに、萌絵との日常的恋愛を成就させるために、差異線を引くとするならば、例えば犀川は「結婚」などの制度、形式に頼らざるを得ないだろう。