木堂椎『りはめより100倍恐ろしい』(角川書店)レビュー

りはめより100倍恐ろしい

りはめより100倍恐ろしい



 何よりもタイトルがナイス。そして、結びの文章の脱力さ加減も。内藤朝雄の提唱する「中間集団全体主義」の、現在的形態なのだろうが、“いじめられる”側が、“いじられる”と、“め”抜き言葉でその様態を転轍されると、一方的受動的被害の“いじめられる”側に、能動性が付与されるわけですね。で、罪責感覚が軽減される。――しかし、もっと肝要なのは、この“いじり”ゲームが“卒業”までの期間限定であるということにある。未来永劫続くわけでもないなら、何とかやりすごせばいい、むしろ半ば積極的にゲームに興じる者も出てくるかもしれない。要は、情況の問題性が、ある種の重みを持って外へ伝わらない。“いじり”ゲームの閉鎖空間では、期間限定という“救い”があるからこそ、“救い”がないのだ。だからこそ、ポンポコピー、「思春期限定いじりたおし事件」に、超越的な存在者は存在しない