樋口有介『月への梯子』(文藝春秋)レビュー

月への梯子

月への梯子



 今度の新作は、いやがおうにも、某超有名作を想起せざるをえないが、その時点で、作者の掌中に取り込まれることになる。このミス隠し玉のコーナーで、本作のことを、「哲学的」と作者は言及していた。――「幸福な家庭の相はお互い似かよっているが、不幸な家庭の相はどれもみな違っている」とは、トルストイアンナ・カレーニナ」の有名な一節。実存の基底には不遇の意識が沈殿しているというのは実感だけれども、果たして、幸福というのは、一様の相を示すほどに凡庸なものなのか、それとも雑多な不幸をお互い隠蔽して微笑みあうことなのか。あるいは、“不幸”が個別性を規定するなら、“幸福”とは何の謂いなのか…………『幸福荘』で起きた殺人事件が、この下町のささやかなアジールの、その内的均衡をこわしていく。住人たちの不幸や不遇さを探っていくのは、この小アジールの来歴を知るためでもある。――“月”へ梯子を掛けるという行為は、この世の全てのPIたちの、労働意識に還元できぬ内的意識を、深く表象している。陶然と色づき始めた灰色の月からは、この世のあらゆる不幸や不遇さが俯瞰でき、それらがまた偶然に交錯し、ミクロな聖域が生成する、その奇蹟が窺い知れることだろう。――にしても、<猫>というのは便利だな(笑)。