天城一(日下三蔵・編)『天城一傑作集3 宿命は待つことができる』(日本評論社)レビュー

本日のエピグラフ

 御一新でサムライがロクを召し上げられて俄か商人になったと同じで、マッカーサー維新で俺が追放だ。(中略)因果応報というのかな(「宿命は待つことができる」P148より)

宿命は待つことができる (天城一傑作集 (3))

宿命は待つことができる (天城一傑作集 (3))


 
ミステリアス8 
クロバット8 
サスペンス8 
アレゴリカル9 
インプレッション8 
トータル41  


 天城一はおそらく後世、GHQを「日比谷幕府」と呼び留めた作家として、名を残すことになるだろう。日本における<近代>が擬制であるとは、もはやカビの生えたぼやきにすぎないけれども、アメリカニズムもまた封建的遺制であるという(苛烈な)認識は、戦後日本の言説構造、右翼左翼保守革新コンサバリベラル近代脱近代前近代、いかなる枠組みにも回収できない。おそらく、天城のような認識をもった知識人は少なくなかったのだろうが、丸山眞男などの戦後民主主義リベラルを軸に、その反措定としての吉本隆明、または“保守”イデオローグとしての福田恒存江藤淳などによって自然に規定された“戦後”の言説空間の外に、必然的に置かれたということだろう。“戦後‐日本”の言説空間に共通するのは、いうまでもなく超越性を表するものとしての(あるいは<外部>としての)アメリカニズムという認識であり、無論これは肯定するだけでなく批判するのも含まれる。――「遺制」という認識は、「維新」など幻想にすぎないという達観を内包するけれども、ということは、アメリカニズムを封建的遺制としてみることは、「日本」を前近代からナラティヴに統括してしまうことを意味するだろう。要するに、“進歩”もなければ、これを批判する“保守”イデオローグも失墜するということである。乱歩は、「探偵小説国アメリカに占領されるのだから、これからはわが国の探偵小説の未来は明るくなるにちがいない」と言ったが、この吉本と通底する認識というか“戦後”に対する態度宣明は、<大衆>のラディカリズムに寄り添ったものではあるのだが、しかしどうだろうか、天城の立ち位置から見れば、これは、「封建的遺制」に対して、あまりにも無防備な態度であると映るのではないか(もっといえば、天城は吉本に内在する論理で、吉本自身を批判することも可能だろう)。乱歩との探偵小説をめぐる認識の相克は、表象的にはトリック至上主義に対する批判ではあるけれども、根底には「アメリカニズム」という封建的遺制をめぐる意識の決定的差異があったのではないか。――だから、今を待って天城一が文壇に姿を現したのは、“戦後‐日本”の言説空間の無惨な崩壊(その一番の象徴が、“保守”の市民運動化である――「プロ市民」はサヨクだけの商標じゃないよ)と、無関係ではないように思われるのだ。…………そして、このような認識を同じくするのが、おそらく矢作俊彦なのではないか。矢作の近作『ロング・グッドバイ』はいうまでも無く『長いお別れ』、天城の本作の表題作は『マルタの鷹』が下敷きだが、実際と虚構のうちの“時代”を超越して、この両者は同じワンダーランドに属していると感じる。ま、矢作俊彦が「日比谷幕府」と嘯いたとしても、違和感ないでしょ。…………矢作もまた、文壇アウトローである(主流文学、ミステリーを問わず)。
 とりわけ、表題作は、活字体の使い分け、特に新聞記事をそれらしく構成したのはよかった。そうでなければ、最後に置かれる記事の文章が醸しだす余韻が、十全に増幅されなかった。