内橋克人『悪夢のサイクル』(文藝春秋)レビュー

悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環

悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環



 “保守”と“教養”をブリッジさせたい文春としては、やっぱり立花隆内橋克人とは脈を通じておきたいのだなあ、と実感。十年前の『規制緩和という悪夢』の悪夢が現実になった、という著者の自画自賛うぉっと憂慮は、まあフかれても文句はいえないでしょうな、新古典派方面のせんせーたちは。「ネオリベ循環」の我が国における端緒を、プラザ合意の時としたのは、「第二の敗戦」論を押さえたもので、このあとバブルがはじけて、ポンニチがビンボーになって、中谷巌とか竹中平蔵とかが喰らい込んでくるわけです。ブクブク太らせてそのあと売り抜ける。で、ビンボーになったら“経済失政”という体制側の間隙をついて、宮内サンみたいにうまい事利権誘導したりするわけですが、基本的には、デフレ圧力を終始かけながら経済成長をさせていくわけです。インフレ対策の特効薬は、労働者を日干しにすること。まあ、「フラット化する世界」では、“労働力”も国際競争力にさらされるから、“労働力”商品がデフレるのは当たり前っていえばもっともらしいんですが、比較優位の法則的にこのパースペクティヴはオッケーなんでしょうか――と、ここまでは著者は言ってませんが。フリードマンせんせーの銭ゲバ破門の有名なエピソードは、“歴史”として、何度も何度も繰り返されるんでしょうね、“喜劇”として。