1996-2005国内本格ミステリ・オールベスト・ランキングのネット投票が公開されました。――まあ、しかし、挙げるのが5作だけじゃ、いかにも物足りない。というわけで、ワタクシ的ベスト10を改めて掲げますです。前にぼやいたように、てっきりベスト20ランク入り作品の中からのみ選ぶもんだと思っていたのですが、そういう枷をとっぱらって改めて考えなおしてみたんですが、ベスト5は変わりませんでしたです。
葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)
- 作者: 歌野晶午
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- 作者: 小野不由美
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- 作者: 連城三紀彦
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1位:『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午
2位:『黒祠の島』小野不由美
3位:『第三の時効』横山秀夫
4位:『密室・殺人』小林泰三
5位:『神様ゲーム』麻耶雄嵩
6位:『美女』連城三紀彦
7位:『カレーライスは知っていた』(『根津愛(代理)探偵事務所』改題)愛川晶
8位:『探偵宣言 森江春策の事件簿』芦辺拓
9位:『凶笑面』北森鴻
10位:『邪馬台国はどこですか?』鯨統一郎
…………ん、まあ、アチキはこんな性格してるんですわ。早い話、“探偵小説”的なるものに対するディコンストラクティヴな戦略(もちろん、それが<本格>になっている、「脱格」でなしに)を評価する、ということなんス。本投票のほうでは、京極夏彦の96年刊行の二作が上位を占め、この二作はまた、96年のベスト10の上位をも、順序は逆だが、占めていた。ちゅうことは、少なくとも、96年以降の<本格>は、京極夏彦がメインストリームであったことは疑いようがない。京極自身も、『邪魅の雫』を読めばわかるとおり、その作風を変容させはじめようとして、従来の読者の反応を窺っているようだ。それでは、96年以降の<本格>とは、一体何だったのか。巽昌章の言葉を借りれば、「作品全体を支配する大きな構図、ひとつの世界観の出現がクライマックスであるような小説」から「世界観の分裂や混乱を印象づける小説」への変容の精神史として捉えることができるだろう。「世界観」の小説。しかし、それは全体小説的なアプローチを探偵小説が採ったというよりかは、いわば「異世界」、可能世界のひとつとしての「世界(観)」を産出し続けた。探偵小説における「謎‐解決」のリアリティの保証を、「それはそういう“世界”だから」というのは、何も単なる抗弁というのでなく、制度派経済学がホモ・エコノミカスを支える“制度”の有様を重視したように、探偵小説のコードが成立する基盤としての「世界」の位相を探ったクリティカルな実践であることは論を俟たないけれども、それでは「セカイ」系というものが、「世界」と対幻想が“逆立ち”することのないまま無媒介に接続されるものであるとするならば、そしてそれがヘゲモニーを握りつつあるとするならば、「世界観」小説は「セカイ」系小説の前に、“批評”という重石があるぶん不利なパフォーマンスを強いられるかも知れない。…………だから私は、「世界/セカイ」に亀裂を入れるような<本格>を望んでいるのです。
『葉桜――』はその模範的な実践例。我孫子武丸『殺戮にいたる病』以来の快作ともいえる。優れた叙述技巧作品は、<読者>の前にテクストの多重性を現出せずにおれない。ブランクを経て『ROMMY』以降の、『安達ヶ原の鬼密室』『世界の終わり、あるいは始まり』(なんて秀逸なタイトルだ)『女王様と私』などの一連の歌野晶午の冒険には、率直に共感を覚える。『黒祠の島』は、<共同体>ミステリだが、ここで扱われている<共同体>とは、実に近代市民社会のことであるのだ。だから「罪と罰の帳尻が合ってしまった」という述懐に、私たちは震撼せしめられる。これこそ、レヴィナスのいう「損害賠償」の論理なのだ。私たちはムラ社会の特異な前近代性に畏怖するのではない、近代市民社会のエコノミーの論理(という倫理!)を相対化するコトバを持たないことに絶句するのである。小野不由美の『くらのかみ』も民話的世界を扱っているが、今度は“交換”というテーマを通して、同様の問題性にアプローチしている。『第三の時効』は、三人の<名探偵>の行動論理が、そのまま巧緻なプロットに反映されるが、これは彼らの観ている「世界」が、三者三様違って現前しているだろうことを予感させる。<名探偵>が観ている「世界」がいかなるものか、横山秀夫がこれを物語において強烈に喚起させる手法は、『臨場』で企みのより一層の洗練を以て十全に展開される。『密室・殺人』は、可能世界の狭間で<読者>を宙吊りにさせる。「奇妙な味」の長編とでもいうべきか。アンチ「世界(観)」小説といえるかも。『神様ゲーム』のアンチ・クライマックスの衝撃、この不条理さも、同様の趣向として捉えるべきだろう。『鴉』『木製の王子』『蛍』などの重厚さと比べると、この作品は麻耶雄嵩が悪戯に試みた産物かもしれないけれども、「世界/セカイ」に対する亀裂の深度を測るとこちらに肩入れしたくなる。
『美女』は「喜劇女優」目当てだけれども、これ単体では対象期間外、短編集全体では却ってインパクトが弱くなるため、ギリギリ上げ底評価しても、ここのあたりが限度。にしても、控えめにみても、「喜劇女優」は短編ミステリのオールタイムベストのトップでもおかしくない。「世界/セカイ」という“舞台”が剥き出しのままさらされている風景は、まさしく<ふるさと>それ自体であるかもしれない。連城三紀彦のシュールさが極まったかたち。『カレーライスは知っていた』は、“犯人当て”小説における、鮎川哲也以来のアクロバシーの伝統を受け継いだ。先日刊行された『山荘の死』では、テクスト外の<作者>のパフォーマンスまで、“犯人当て”小説に動員された経緯が語られているが、探偵小説がテクストを介したコミュニケーションである限り、「作者の死」はあり得ないのである。<作者>は、生ける屍としてテクストの内外を跋扈する。愛川晶は、“奇想”派の系譜に連なる人だと思うけれども、柄刀一、藤木凛に比べれば過小評価でないか。とりあえず、復活されたのを寿ぎたい。『探偵宣言 森江春策の事件簿』は、個別の短編をひとつに繋げる際に、作者自身が己の“作風”を剔抉するという趣向に思わず涙する。要するに、「世界」は自明なものではない、ということ。芦辺拓は、『紅楼夢の殺人』よりも『三百年の謎匣』の方を到達点とみる。芦辺が<本格>のなかで、「語/騙り」のダイナミズムを復権させた功績は大きい。『凶笑面』『邪馬台国はどこですか?』は、“因縁”話の数珠つなぎで長くなりがちな伝奇・歴史ミステリを、短編のかたちでソリッドに纏め上げた手腕に敬意を表して。「世界」をあるひとつの像に収斂させる手際は、バイアスを構築する胡散臭さと紙一重だけれども、であるからこそ、そのオルタナティヴを喚起させずにいられない。眩い偽物は、未だ見つからぬ本物の存在を示唆し、また今後も精緻な偽物が見つかるだろうことを予感させる。…………次点は、柄刀一の『3000年の密室』。古代から未来へ貫通するモチーフの演出のされかたは、今もなお新鮮。
…………まあ、しかし、このベストのラインナップは、当てこすってるな(笑)。