平川克美『株式会社という病』(NTT出版)レビュー

株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)

株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)



 
株式会社批判といえば、本文中にも言及がある奥村宏の一連の著作を思い出すけれども、奥村がだからといって社会主義者じゃないのと同様、本書の著者も反=資本主義者ではない。「株式会社」が「病んでいることそれ自体は、別に悪いことではない」とさえ言う。ただし、自覚的であれ、それに対して耐性をつけろ、と。それでは、「株式会社」とは、一体どんな「病」(に罹っているの)か。いうまでもなく、「株式会社」とは所有(資本)と経営が分離している法人であり、“所有(資本)”を代理する「株主」と“経営”を代理する「会社(社長)」の利害は、前者は短期的、後者は長期的利益を追いやすく、そのときには対立せざるを得ない。「会社」共同体は、独自のエートスを醸成させ、以て「会社」存続の基盤とするが、「会社」が「株主」の軍門に下り、「会社」もまた短期的利益を搾り出すことに汲々とするならば、それをささえていたエートスが壊れ、半必然として、その“法人”の不法行為、脱法行為に端を発する企業スキャンダルが起こってしまう――「株主と会社との間に存在する共犯関係」を、著者は「病」といっている。このとき、「株主」は無限に増殖する「欲望」を表象してもいる。…………問題なのは、このような儲け主義が、ふつうの人間にとっては、自己実現のための一部にすぎないものの、「株式会社」においては、価値観がそれしかなくなる、ということなのだ。――本書後半では、さらに「ウェブ進化論」批判、『国家の品格』の語り口に対する違和の表明など、本題から話はやや離れていくのだが、著者の企図するのは、金融グローバリズムやウェブ社会的“知”のありかたが、<人間>を記号化・矮小化する潮流に、喜んで棹差す現在の風潮に、否を突き付けることにある。「知性は、人間の中に棲みついてはじめて生きることのできるものである。つまり、知性には顔がある」という著者の言は、噛み締めがいのあるものだろう。アメリカン・グローバリズムがいよいよ崩壊の秒読みに入った今こそ、スリリングな議論である。