本日のエピグラフ
(前略)犯罪や事件に直面して人間が取る自然な行動が、ほとんど常に(中略)利用されているような気がする。(P698より)
- 作者: 柄刀一
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/07
- メディア: 単行本
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ミステリアス | 10 |
アクロバット | 10 |
サスペンス | 8 |
アレゴリカル | 10 |
インプレッション | 10 |
トータル | 48 |
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マジシャン一家を蹂躙する“不可能犯罪”という悪意。これは、犯人がデコラティブに密室殺人を遂行していく、というだけに留まらずに、事件関係者たちを意のままに操る、彼らの主体性を毀損していく、ということにまで及ぶ。第一の事件は、後期クイーン問題を彷彿とさせる結構をもつのだけれども、後の事件になるにしたがって、現場にいる人間たちの行動、一種のアフォーダンスまでも、トリック遂行のためのリソースとしていく、まさしく悪魔的な奸智を見せ付けられることになる。作者が本作で描かれる物語をして、「昭和の大時代的な」「昭和の犯罪」と登場人物に評さしめているが、トリックの異形さやそれに賭ける執念、いわば“労働”コストを度外視したゆえの犯罪者の“狂気”が、この時代のルサンチマンと共鳴することで、“物語”的リアリティを獲得した、ということでもあるのだろう。換言すれば、“不可能犯罪”とは、<主体>をめぐる闘争であるのかもしれない、ということで、それでは現在の“犯罪”は、何をめぐってなされているのだろうか、とふと思う。