柄刀一『密室キングダム』(光文社)レビュー

本日のエピグラフ

 (前略)犯罪や事件に直面して人間が取る自然な行動が、ほとんど常に(中略)利用されているような気がする。(P698より)

密室キングダム

密室キングダム


 
ミステリアス10 
クロバット10 
サスペンス8 
アレゴリカル10 
インプレッション10 
トータル48  


 マジシャン一家を蹂躙する“不可能犯罪”という悪意。これは、犯人がデコラティブに密室殺人を遂行していく、というだけに留まらずに、事件関係者たちを意のままに操る、彼らの主体性を毀損していく、ということにまで及ぶ。第一の事件は、後期クイーン問題を彷彿とさせる結構をもつのだけれども、後の事件になるにしたがって、現場にいる人間たちの行動、一種のアフォーダンスまでも、トリック遂行のためのリソースとしていく、まさしく悪魔的な奸智を見せ付けられることになる。作者が本作で描かれる物語をして、「昭和の大時代的な」「昭和の犯罪」と登場人物に評さしめているが、トリックの異形さやそれに賭ける執念、いわば“労働”コストを度外視したゆえの犯罪者の“狂気”が、この時代のルサンチマンと共鳴することで、“物語”的リアリティを獲得した、ということでもあるのだろう。換言すれば、“不可能犯罪”とは、<主体>をめぐる闘争であるのかもしれない、ということで、それでは現在の“犯罪”は、何をめぐってなされているのだろうか、とふと思う。