荻上チキ『ウェブ炎上』(ちくま新書)レビュー

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)



 
「インターネット上での集団行動に対するリテラシーは、今後ますます重要な意味を持つようになるはずです」。著者がウェブを、人間を自らが「成長していくための環境や養分でしかないかのごとく」と嘆じているのは、やっぱり実感だなあ、と。そんなこというのなら、昔から“社会”や“国家”はリヴァイアサンと呼ばれてきたではないか、と茶々をいれる向きもあるだろうけれど、これらと決定的な差異があるのは、著者も東浩紀の用語を用いているいうように、この怪物が、われわれにとって「可視化=過視化」しているという事実だろう。あるいは、ある種の不自由さのリアリティが、想像的なものから、象徴的もしくは物質的になっているというか。…………本書で問われているのは、討議空間がラディカルに開放された場合、私たちが、それに耐えうるか、ということでもある。これは第一義的には取捨選択する情報群の量的拡大ということであり、それにともなう“コスト”の増大ということでもある。著者がいうように、いわゆる「まとめサイト」、ハブサイトの重要性が増すわけだけれども、ワタシがなーんとなく思ってしまうのは、このハブサイト的機能を、それこそ旧媒体(を経営する会社、って早いハナシが「記者クラブ」加盟社ね)が志向し始めたら、それこそ自分のトコロの組織による情報収集力を維持したまま――と。なんとなく、“情報”のエコノミーは、果たして“草の根”に十分に味方してくれるか、と思っているのだけれど。うーん。…………ともあれ、本書を武器に、ウェブという荒野を駆け抜けろ。