宮台真司『「世界」はそもそもデタラメである』 (メディアファクトリー)レビュー



 後期近代における表象のアレゴリカーを自認するルーマニアンたる著者の、かくもぶあつーい社会哲学批評。“生活世界”と“システム”の対位が、次第に後者が前者を呑み込んでいく後期近代の必然と、<社会>の外部に括りだされた<世界>(への希求)、それを触知するものとしての「原罪」と「ミメーシス」、これらに鈍感な表現は、要するに「自明性(もしくは自明性への疑い)」に自己充足的な表現は、容赦なく裁断される。予定調和の罠は、「意味論」に無警戒な表現者に、間隙を衝いて忍び寄るわけである。本書を通読するに、どうも不機嫌なロマン主義、という形容がしっくりくるような気がしないでもないけれど、はてさて。本書終わり近くの回で、某ケータイ小説原作映画の脊髄反射ぶりに唖然とするくだりは、なんというか、大オチみたいなもんかしらん。