円堂都司昭『「謎」の解像度 ウェブ時代の本格ミステリ』(光文社)レビュー

「謎」の解像度

「謎」の解像度



 著者の新名義でのデビュー作である綾辻行人論から、清涼院流水論へ通じる論脈こそが、今現在のミステリ批評における、笠井潔パースペクティブに唯一対抗できるものである。大塚英志的なスタンス、日本における“サブカルチャー”という問題意識を批評的アクロバシーにつなげる手法を睨みつつ、綾辻・有栖川以降の本格ムーブメントを、現在の社会的諸相や時代的意識へと繋げる手際は、不自然さを感じない。本格ミステリというテクストが、内外問わず過去からのミステリ作品の系列へ位置づけようとするのは、やはり限界がある。「八〇年代以降の時代環境」、その無為な思想性の痕跡を、本格ムーブメントのなかに見出せて違和感がないとすれば、本格もまた時代の子で、しかし、冒頭の有栖川有栖論にもあるように、「問いかけても答えの戻ってこない不可能性を刻印された場所」としての「現実」に「一泡ふかせたい」、この「基本感情」が、本格ミステリの“文学”性を担保するのだろう、と思う。――だから、逆説的に、テクストに内在する現在という“時代”性は、論じられなければならないのだ。上に挙げた以外でも、折原一西澤保彦米澤穂信などの諸論も、切れ味は鋭い。