内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ)レビュー

邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)

邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)



 「私家版・日本文化論」たる『日本辺境論』が、「学び」における先駆的な「確信」を得る能力の由来を追究したものだとすれば、本書はそのような「先駆的な知」の復権を目論んだものとして位置づけられる。なぜ「先駆的な知」が必要なのか。それは、生き延びるためである。「邪悪なもの」即ち日常の理知的判断が無効化する状況が出来したとき、それを「鎮め」るためには、「先駆的」な判断、つまり「未来を一瞥してきている」ような知性が必要であるということ。あるいは、「明証をもっては基礎づけられないけれど、なんとなく確信せらるる知見」に対する感度を、日常的に把持するということ。後者を著者は「常識」と呼んでいる。今ある“私”を、無時間的に保持するのではなく、今現在という時からは別の場所に存在している“私”もしくは“何か”に想いをめぐらし、“時-間”に対するリアリティを回復すること、このことが本書の通奏低音だろう。ところで、「剣の三位一体論」は、武士道ナントカとか書いてるひとに読ませたいねえ。