萱野稔人『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど 』(河出書房新社)レビュー

暴力はいけないことだと誰もがいうけれど (14歳の世渡り術)

暴力はいけないことだと誰もがいうけれど (14歳の世渡り術)



 サンデルの本でコミュニタリアニズムに目覚めたひと、この本でまた現実に戻ってください(笑)。“国家”という暴力機構について思索をめぐらせ続ける政治哲学者が、“暴力”というエコノミーの論理を説き語る。著者は冒頭で暴力という事象においての善悪の価値判断の無効を唱える。続いて、カントの定言命法における“道徳”の基礎付けの破綻を示し、即ち道徳律による“暴力”批判の無意味をあからさまにする。ここで著者は、“暴力”について考えるためには、「政治の次元に突き進むことが必要」と説き、後半からは、“国家”の存在原理についての考察が始まる。国家はいうまでもなく、圧倒的な“暴力”を、合法的に、かつ物理的に有しているが、この“国家”が実質的に形成されたのは、社会契約説の高邁な理念のためではなく、軍事テクノロジーの発達のおかげである。近代国家の成立により、国民は自らの「暴力への権利」を行使する際に、“国家”に許されなければならない存在となった。“暴力”が人間が生きるための「生の条件」であるならば、“国家”の行使する“暴力”が、私たちの「生の条件」から収奪されたものという想像力が、“国家”の“暴力”の暴走を食い止める要となるのだろう。