長谷川幸洋『官邸敗北』(講談社)レビュー

官邸敗北

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 「緊急出版」された副島隆彦佐藤優の『小沢革命政権で日本を救え』(日本文芸社)のなかで言及されているが、今年の2月に「小沢不起訴」が決まった前日に、小沢一郎が国会の幹事長室で、カート・キャンベル国務次官補とジョン・ルース駐日大使と会見した。小沢が両アメリカ政府高官を後ろに国会内を歩んでいる姿が、2月4日付の日刊ゲンダイの一面に大きく掲げられ、私も思わず購入したけれども、要するに一連の特捜の動きに「アメリカの影」を覚えなかったら、それはその者が自ら三猿状態になっているとしか思えない。――で、本書なんだけれども、そこんところ全スルー。まあ、分かりきってたことだけれども、それでも一連の特捜リークによるお貸下げ報道を批判しているのでよろしいけれども、著者の立脚点が財務省批判なので、どうしても財務省の動向がメインになるのは、仕方ないか。鳩山政権と財務省の予算編成をめぐる確執。キャスティング・ボードを握る亀井の独走と、財務省に取り込まれる菅の変節と増税発言。本書は鳩山政権崩壊までフォローしていないが、菅政権になって財務省の完全主導になったのはおろか、野党第一党自民党まで増税を合唱する始末。なんとも鬱陶しい選挙になったもんで。あと、著者は、「鳩山政権では小沢幹事長が重要決定を下しながら」小沢には国民に対する「説明責任」がない、「党幹事長が主役であって、内閣総理大臣がその代理人」であると難じているが、「説明責任」がない人間に取材ができなかったのを、社会正義の御旗をたてて対象を批判するのは、傲慢か欺瞞のどちらかである。全体主義頭目に見立てるのは、悪辣とさえ言えるだろう。新聞ジャーナリズムも、未だ惰眠から覚めやらぬ、か。