飯城勇三『エラリー・クイーン論』(論創社)レビュー

エラリー・クイーン論

エラリー・クイーン論



 「後期クイーン問題」における論理の無限階梯化の問題性を裁断した、だけでは当然なく、クイーン作品のロジック構成を徹底的に検討することにより、ロジカルな探偵小説を、「非対人ゲーム」から「対人ゲーム」へと転轍させたクイーンの作家的モチベーションを浮き彫りにする。いかにも、分析哲学的で面白い。探偵小説におけるアクターとしての「名探偵」と「記述者」、この二者が「エラリー・クイーン」の名の下に統合されているが、小説家「エラリー・クイーン」の存在とは一線を引いている。著者が探偵小説のメタレベルについて、「未来のメタレベル」と「神のメタレベル」の二つに峻別しているが、このうち「未来のメタレベル」は、とりもなおさず「神」たる“作者”が小説空間の全的な支配から撤退し、小説空間の時系列のみを保証する立ち位置に留まったことを意味する。これと諸アクターの合理的判断(という仮定)により、「手がかり」の真偽をめぐる論理の無限階梯化は基本的に回避される。以上は、作品が「意外な推理」を志向するという大前提があるが、中期以降のクイーンは、「意外な推理」の“外部”に魅せられている、とはいえるかもしれない。「神」たる自己を否定した“神”は、より普遍性の領域に近づくのだから。