勢古浩爾『最後の吉本隆明』(筑摩選書)レビュー

最後の吉本隆明 (筑摩選書)

最後の吉本隆明 (筑摩選書)



 吉本の理論三部作『言語美』『心現』『共幻』をネグって、吉本思想の真髄に肉迫できるか――著者の取った戦略は、『最後の親鸞』をメインディッシュに、前菜に花田・吉本論争や「情況への発言」に代表されるポレミックとしての吉本、そのあと小林秀雄に対抗する文芸批評家としての業績を纏めたあと、吉本思想のキー概念である「大衆の原像」に言及していく。と、以上は、実は後ろ三分の二ぐらいのテクストであって、前三分の一は、吉本の青少年時代の足跡をたどるが、ここで吉本の三角関係時代について一章分割いているのがミソ。「生活思想」の射程から、「往相、還相」の理念へと筆を進める著者の、吉本の思考過程に共感し、逡巡し、あるいは匙を投げるその一々がつぶさに記されても、きっちりと読ませる。自分の子どもが殺されて、それに対する量刑に納得できなかったら、「子どもを殺した相手を傷つけたり殺しに行く」と思うが、逆に「これは子どもの供養のためだから相手の刑を軽くしてくれ、とは言いそうに思います」と発言する吉本の思想的位相を、「往相、還相」の理念で捉えるとき、「ついにこのように理解するしかない」と、著者自身の意識の限界線を滲ませるところに、逆に吉本思想へのコミットの真摯さが表れている。