吉本佳生『日本経済の奇妙な常識』(講談社現代新書)レビュー

日本経済の奇妙な常識 (講談社現代新書)

日本経済の奇妙な常識 (講談社現代新書)



 昨年2011年の経済書の個人的ベストはこの本。タイトルが、いかにもという感じなので、スルーされやすいが、著者のネームバリューでカバーされると判断したか。内容は、平易な語り口ながらも、かなりポレミカルだ。「はじめに」で、20本もの「奇妙な経済常識」が挙げられるが、これに対する反駁というよりも、著者の現今の国際経済と日本経済に対してなされる分析と批判、そこから導きだされる逆説的で困難な状況の全体的あるいはシステム的な把握が、本書の主眼である。著者は、1998年を日本経済のターニングポイントであると見なしており、それは即ち、この年を境に、家計の純貯蓄が減少するなか、入れ替わるように企業が貯蓄過剰主体に変貌しており、対照的に労働者の賃金格差の拡大、賃金デフレ圧力がかかり始めた結果、消費不況の泥沼にはまったということ、企業が貯蓄過剰主体になった原因のひとつとして、銀行が融資を渋る傾向が出てきたこと、そのまた原因として、98年のいわゆる「金融ビッグバン」で、銀行が儲けの大きいデリバティブビジネスにのめり込んだこと、などを挙げている*1。さらに、この背景として、日本の仕掛けた「通貨戦争」、円高対策で外為市場に大規模介入して、かつ金融緩和を維持し続けたことで、低金利の円資金を利用した投機が、資源インフレを招き、巡りめぐってそのコストが大企業から中小企業へ添加されて、日本の雇用者の七割を占める中小企業が賃金リストラをやらざるを得なくなる、という悪循環の構造を著者は指摘している。つまり、著者はリフレ論者とはちょうど真逆の立場から、政府・日銀の金融政策を批判しているのである。この大量の円マネー(と中国元)が米ドルを買い、さらにこれがアメリカ国債に投資されるために、米国債の格付けが下がろうが、金利がさらに下がるという珍妙な現象が起きる*2。著者は、米国債が米ドルにかわる「影の基軸通貨」になったと注意を喚起している。日本や中国などの経常収支黒字基調の国は、実質的にアメリカに資金供給して、自国製品を買ってもらっているようなものだが、とりわけ、内需を上回る供給能力を持つ日本は、外国にモノを買ってもらうために、円安誘導して、その供給された大量の円マネーが、自分の首を締め続ける、この構造*3を打破するには、賃上げ、とりわけ製造業よりその余地が大きく、かつ就労者が多いサービス業の賃金アップに、著者は望みを託している。ともあれ、「ここまで深刻な経済停滞から脱するのに、政府がちょっとした政策をやりさえすれば、国民や企業がさほど努力しなくてもいいなんて話は、あまりに世間を甘くみすぎている」。*4

*1:櫨浩一『日本経済が何をやってもダメな本当の理由』(日本経済新聞出版社)では、日本企業の資金余剰の一因として、GDP比で二割以上に達する固定資本減耗の存在を示唆している。要するに、莫大な供給能力を持つ生産設備を維持するために、多額の資金が必要で、それが企業の賃上げを抑えている、というもの。経常収支黒字という経済環境を、本書とは別方向から抉っている。

*2:まあ、日本国債も同じなんですが。

*3:下村治は『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ』 (文春文庫)で、日本が過剰供給能力を持った原因は、レガーノミクスにあると一刀両断している。昭和57年(1982年)黒字額が69億ドルだったのに、翌58年(1983年)には黒字額が208億ドル、翌々年59年(1984年)には350億ドルと、たった一年間でヒトケタ増やした。この異常事態の背景には、レーガン政権下の大減税政策とそれによる過剰消費、そしてその外需に応えるように律儀に供給能力を伸ばした日本企業の存在があるが、このときから現在に至るまで、日本は同レベルの経常収支黒字を計上している。ただし、2000年代以降は、貿易収支より所得収支即ち対外投資の収益が主因になっていることは、吉本の本で確認されたい。 

*4:という上の文章を上げた直後に、平成23年の貿易収支が2.5兆円の赤字であることが発表され、一方所得収支が13兆円の黒字であることがわかっているので、差し引き10兆円程度の経常収支黒字が確定。これで、所得収支が経常収支黒字の原因となった。