「予言」する探偵小説4-Ⅵ

今回の文章も東野圭吾『容疑者Xの献身』の内容に触れています

 笠井潔が指摘するように、<犯人>たる石神の“像”は、あたかも多重人格の様相を呈するように、分裂している。先に、個々の批評戦略の故だと記したが、しかし石神の“像”がナラティヴな地平で、どこか把捉し得ないという感触は、やはり拭えない。三人称の“語り=騙り”で、時折、石神自身のモノローグが差し挟まれるのが、事態をより一層混迷させる。――笠井は、石神の“像”について、一九世紀、二〇世紀、二一世紀という三つの精神(史)的類型を措定した。これに対して、今まで辿ってきた論脈から、石神の“像”の分裂について、別の措定ができる。それは即ち、「他者」と《他者》だ。…………「他者」たる石神とは、「性愛」というコミュニケーションを構成する<他者>、そして《他者》たる石神とは、「神」として顕現する<他者>のことである。――<犯人>石神は、靖子にあてた手紙のなかで、「私のことはすべて忘れてください。決して罪悪感などを持ってはいけません。貴女が幸せにならなければ、私の行為はすべて無駄になるのですから」というメッセージを送る。これを押し付けがましい、白々しいとか、逆にあからさまであることの負荷を引き受けた石神の態度に言及するとか、そういう前に指摘されなければならないのは、このメッセージからわかるのは、<犯人>たる石神の真意は、花岡母娘の<記憶>の操作、もしこういってよければ、<記憶>“殺害”である、ということだ。であるからこそ、このように言い留めなければならないだろう。『容疑者Xの献身』で用いられたトリックとは、「顔のない屍体」トリックを通じて作為されたのは、<記憶>の“殺害”、もしくは“収奪”トリックである、と。ここにおいて、<犯人>石神に対する<被害者>は、花岡母娘に転轍されることになる。
 <記憶>の操作は、探偵小説においても一大テーマを既に築いている。“操り”テーマの原型ともいえるだろう。数々の名作傑作があるうち、どうしても某作品を比較検討したいのは、「性愛」ということと<記憶>の操作が密接に絡み合っているということでは、『容疑者Xの献身』とは兄弟姉妹関係にあると思えるからだけれども、いかんせん、このテーマでは、トリックの核心がそれである、というケースが少なくない。この文章は『容疑者Xの献身』の既読ということしか前提としていないため、言及は機会を改めることにしたい。陽気な奴でも聴こうよ。…………ところで、『容疑者Xの献身』というテクストをめぐる違和感は、このテクストを、ある種の“物語”の雛型に押し込めようとする力学(その最もたるのが、「命がけの純愛が生んだ犯罪」などのコピーに評される、版元の営業戦略なのだろうが)に対するものだろう。が、このテクストが、いわゆる「倒叙」型の展開を示しているため、「<名探偵>VS名<犯人>」の図式に回収させたうえで、そこからの逸脱の度合いを測るといった“読み”が、半ば必然となったが、これにもバイアスがかかってないだろうか。確かに、<名探偵>湯川の存在によって、<犯人>石神は最後のカードをきらざるを得なくなるのだが、湯川が述懐するように、「自分が殺したのだと主張し続けるだろう。(中略)被害者を殺したのは、彼に間違いない」のだから。<名探偵>湯川の“推理”によって、果たして、<名探偵>は探偵小説空間において、あの「始原の遅れ」を回復しえたのだろうか? …………そもそも、二階堂黎人巽昌章の間で交わされた議論の、その核心は、<名探偵>湯川の“推理”は“想像”である、ということを巡ってのものだった。二階堂はそれゆえに<本格>ではないと言い、巽は“想像”もまた“推理”である、と反論した。――しかしそれでは、<名探偵>湯川の“想像”とは、いかなる事態を指すのか。法月綸太郎は周知のように、「初期クイーン論」のなかで国名シリーズを分析して、探偵小説における「自己完結的な謎解きゲーム空間」の様態を論じた。そこで引用されている、柄谷行人ゲーデルの「不完全性定理」に言及したくだり(「言語・数・貨幣」)には、「(前略)その形式体系のなかでは証明できないし否定もできない、つまり“決定不能”な論理式が存在する」とある。この「“決定不能”な論理式」が「自己完結的な謎解きゲーム空間」の限界を示す。“決定可能”である論理式とは、<犯人>石神が用意した“証拠”によって、石神を「“富樫”殺し」の<犯人>として名指すということである。<犯人>石神が作為した「宇宙」こそ、「自己完結的な謎解きゲーム空間」であるのだ。そして「“決定不能”な論理式」とは何を指すか、言わずもがなだろう。それでは、<名探偵>湯川は、<犯人>石神が用意した「自己完結的な謎解きゲーム空間」の内部に存在するのだろうか? ――だが、もしそうだとしたら、おそらくは<名探偵>湯川は、真相に到達しえなかった。「自己完結的な謎解きゲーム空間」自身を相対化するということ。物理トリックの解明を主としてきた<名探偵>湯川の“推理”が、この事件に限り、“想像”であるということの、これが理由だ。――「<名探偵>VS名<犯人>」の図式も、その意味をずらされている。