鳥飼否宇『激走 福岡国際マラソン』(小学館)レビュー

本日のエピグラフ

 問題は(中略)微妙な立場だった。/これは記録で克服するしかない。(P231より)


 
ミステリアス8 
クロバット9 
サスペンス8 
アレゴリカル9 
インプレッション9 
トータル43  


 マラソン本格、である。歌野晶午ジェシカが駆け抜けた七年間について』、倉阪鬼一郎『42.195』など、何でここ二、三年の間に同一競技についてのミステリが、あまつさえ新本格フィールド内で、連発する? しかも、どの作品も突拍子もない仕掛けが施されている。歌野作品と倉阪作品では、四次元と異次元の位相差がありますが(笑)。で、本作は、何次元に属すんでしょう。二次元?三次元?――
  物語は、2007年師走に開催される福岡国際マラソンのレースに(途中、大会前夜などカットバックがあるが)限定される。物語との臨場感を一にするためにも、一気に読み進めましょう。作者も、スピーディに読めるように、文章のレトリックを簡明なものにしている。それぞれのランナーの思惑を交錯させ(特に、リタイア後のテレビタレント活動を目論む谷口がいい)、読者に展開を容易に予想させない。本作品をヘタに批評することは、本作品の核心にダイレクトに触れることになるので要注意なのだが、「日本」のマラソン史の有名なエピソードが、ギミックの淵源になったのは疑いないように思われる。さらに、「プロジェクトX」的ドラマも伏在させて、鮮やかなフィニッシュ。近代オリンピック体制の下、「自己超克」を目指すのならば、生まれ出でる<超人>は自明のフレームに自足せざるを得ない。永遠に、小人の「永遠回帰」だ。「駱駝」から「獅子」へ変化するには、“汝なすべし”即ち<制度>との対決が不可避になるだろう。<超人>は<制度>の間隙をついて出現するのだ。――とは、左派ツァラトゥストラかく語りき?
  いづれにせよ、読後、伏線の妙を堪能しましょう。