「城内平和」の行方



 バージョンアップした『CRITICA vol.2』。やっぱり目玉は千街晶之の全方位型リアルバウト「崩壊後の風景をめぐる四つの断章」でしょうね。二階堂黎人、つづみ綾の両氏のみならず反対側にいる人間にまで批判の矛先は向くのだけれども、誰彼かまわず喧嘩を吹っかけた、というよりは、政治的に正しい配慮に基づいたフェアな振る舞いに見えてしまうのは、千街氏がブリリアントなひとだからかしらん。『本格ミステリー・ワールド 2007』の「混乱を極めた」舞台裏の報告は、味わいありすぎ。とりわけ、千街氏に率先して愚痴をこぼしたセンセイ方の思惑が。まあ、一種のリスクヘッジみたいなもんか。…………で。千街氏は、「他人の説も自分の説も物語であることに変わりはない以上、どこまでも平行線である他はない」、問題は「さまざまな主観的な主張」が相互に「平行線」であるかもしれぬのを省みられぬまま、「言ったもの勝ち」状態になっていること、と主張する。「逆に、相対主義はよりラディカルに磨かれなければならないのではないか」との氏の宣明は、要するに、あるひとつの見解に対して、真偽の判断に還元されぬオルタナティブを提示することを倫理化する、ということだろう。――で、『本格ミステリー・ワールド』は、『本格ミステリ・ベスト10』のオルタナティブであるわけです、年間ベストの選出方法をみれば、明らかに(選考者が妥当、もしくは妥当な討議を行ったかどうかはともかくとして)。年間ベストテン選出における投票方式に潜む“欺瞞”を、島田荘司は『ワールド』の「巻頭言」で指摘しているが、千街氏はそれを「錯覚」と断じ、さらに『ワールド』のベスト選出で、島田自身の作品が二作もあるのに対して、「李下に冠を正さず」、「本当に何も幻滅を感じなかったのだろうか」と難詰する。…………『本格ミステリ・ベスト10』を、(個々のアンケート回答が集計され、唯一のランキングが決定されるにしても)それこそ「相対主義」的実践の具現化した企画とするならば、『本格ミステリー・ワールド』は、討議主義的実践ということになるけれども、千街氏においては、二階堂氏ら“討議者”に問題ありで、企画(選出方法)自体を否定しているわけではなさそうだ。とはいえ、千街的「相対主義」者たち(その理念的モデルにおいて)が、なんらかの“討議”的行為を実践するというのは、なかなかイメージしづらい。上記のように、なんらかの結論を得るのは、畢竟、多数決や数値に還元された集計行為に頼らざるをえないだろう。――私はジャンルというのは、再帰的な意識なしには成立しないと思っているけれども、『ベスト10』と『ワールド』、どちらがその意識を涵養させるのか、たとえばベストに選出された作品の、その評価のポイントが、送り手と受け手の間で齟齬をきたせば、<本格>というジャンルの端的な「危機」は出来してしまうわけで、明らかに。…………どうも、コミュニカティブなレベルにおけるある種のオプティミズムが、なんとも無防備という気がしないでもないんですが、ねえ。*1

*1:評論新人賞入選ニ作も、力作。山本悠氏のは前作とあわせて、探偵小説における自己完結性の罠について鋭く迫り、川井堅二氏のはまさに<本格>というジャンルにおける再帰性の問題についての考察である。