原武史『昭和天皇』(岩波新書)レビュー

昭和天皇 (岩波新書)

昭和天皇 (岩波新書)



 表象の支配体制としての「天皇制」を追究してきた著者の最新作。「創られた伝統」たる宮中祭祀に、明治、大正天皇とは違って、積極的にコミットするようになる昭和天皇。一因には、いわゆる南北朝問題の克服としての「三種の神器」の神聖化があった。祭祀に臨むにあたり、必要とされる「信仰」。それなくしては、高松宮がいうように「形式的ナ単なる一時的な敬礼」にとどまる。自ら「生神」と信じていたふしのある明治天皇との決定的な差異がここにある。裕仁皇太子の訪欧以降、「お濠の外側」では、それまでの地方視察における寡黙さとは打って変って、皇太子は「声を出す」存在となり、「市民奉祝会」で大勢の市民を前にして令旨を読み上げることによって、「君民一体」の空間の現出、即ち「国体」の可視化が実現する。しかし、このときの皇太子にとっての「国体」は「お濠の内側」にあり、帰国するや否や宮中祭祀に出席するのだ。皇太子の摂政就任後、地方視察を精力的に行い、行く先々で、「君民一体」の空間が演出され*1、「国体」の視覚化が進むのは、著者の先著『可視化された帝国』が詳らかにしている。やがて、皇太子が地方視察を宮中祭祀に優先させるようになると、貞明皇后の怒りが爆発する――。これが、昭和天皇と皇太后の確執の始まりだった。これは、戦後、皇太后の死去以後も、宮中に居残った某女官とにまで引き継がれる。戦争が終わっても、「お濠の外側」、とりわけ地方においては、戦前と変わらぬ熱狂をもって、昭和天皇は迎えられる。確かに「国体」は存続維持された。が、「お濠」の内と外では、やはり決定的な断裂が孕まれている。それは、近代‐前近代という対に還元できるものではなく、土俗性‐宗教性、あるいは見るものと見られるもの、あるいは“儀式”を媒介にした「形式」−「信仰」など、様々な問題性を設定できるだろう。本書には、<権力>を考察するにあたり、数々の材料が詰め込まれているという意味で、知的好奇心をかきたたせてくれる。保坂正康との対談『対論 昭和天皇』(文春新書)もあわせて読まれたい

*1:ただし、このとき、「声を出す」役を引き受けたのは、「臣民」の側だった。君が代、奉迎歌の斉唱等。皇太子は地方では無言だった。