三土修平『頭を冷やすための靖国論』 小島毅『靖国史観』(ちくま新書)レビュー

本日のエピグラフ

 明治の「文明開化」とは、西洋化であるとともに朱子学化でもあったのだ。(小島『靖国史観』P155より)

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)

靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書)



 
 今年の上半期にちくま新書から出た、いわゆる「靖国問題」関連本。とくれば、ベストセラー高橋哲哉靖国問題』の二匹目三匹目の泥鰌を狙ったアレな本と思うことなかれ、両方とも高橋本の鋭い批判ないし牽制としての要素を持つ。例えば、『靖国史観』では「はじめに」で、「この本は決定的な欠陥を抱えている。歴史が欠如しているのだ」と剔抉している。それどころか、三島由紀夫が、村上一郎との対談で、三島が「三種の神器」というコトバを持ち出したときに、石原慎太郎小田実がふたりして「あざ笑って」いた、というエピソードを語ったときに、三島は続けて「石原と小田実って、全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな」と皮肉ったのを小島は引用して、三島の顰に倣って、「小泉(純一郎)と高橋も同じ人間」かもしれない、とさえ言うのだ。一方の『頭を冷やすための靖国論』では、「靖国」はおろか国立の(新)追悼施設の建設まで否定する高橋のロジックに見られる、旧社会党が1960〜70年代に唱えていた非武装中立論のごときものを、「こうした抽象的理想論を唐突に持ち込むのは、説得力のある立場ではない」と裁断している。――村上一郎は、小島が引用した対談で、「三種の神器」に「驚いちゃう」人を「モダンな人」と呼び留めた。非武装中立論を裏返せば、当然、「武装‐同盟」論になるが、スタティックな政治学的視点、即ち「戦争国家」という視点から見れば、我々は「モダンな人」になるしかないだろう。この「モダンな人」というのは、「靖国」をめぐるパトスと欺瞞の歴史を捨象する隠蔽装置なのである。…………両者が認識を同じくする点はほかにもあって、それは「靖国問題」は国際(外交)問題ではなく、あくまで「国内問題」である、ということだ。『靖国史観』は小島の前著『近代日本の陽明学』の続編という体裁で、「靖国神社」の心性的な支柱となった(後期)水戸学と明治維新の連関を説き、三土の『頭を冷やすための靖国論』は、二年前に刊行された『靖国問題の原点』(名著!)での議論を下敷きとして、その後にまみえた文献や各種資料、またいわゆる「富田メモ」のスクープなど時事的トピックを追加して再構成したものだが、GHQの「神道指令」をめぐる日本・靖国神社側の駆け引きと妥協の結果、一宗教法人として「軍国的神社」的要素をのこす、戦後における「シーラカンス」的存在になったとする。いわば、小島のが「明治‐維新」にいたる幕末における「尊王攘夷」の精神史をあからさまにして、三土のが(敗)戦後における「靖国」の現在的な問題性を抉り出しているわけだが、これはちょうど「靖国」関連著作としてはメルクマールというべき村上重良『慰霊と招魂』が、近代日本の帝国/軍国主義的伸張を、「靖国護国神社」が精神的な動員装置として如何に下支えしてきたかを描いたのを、時系列的に挟み込む。『靖国史観』『慰霊と招魂』『頭を冷やすための靖国論』と、この三著を通読すれば、“問題”としての「靖国」史が十全に把握できるだろう。…………さらに、両者が共通して指摘するのは、しかしどんなに言を尽くそうが結局「靖国」なるものにコミットしてしまう民衆のパトスのありようだ。小島は、いわゆる「美濃部事件」における「天皇陛下が国家の機関だということになると、畏れ多くも田舎の駐在さんと同じということになってしまう」という「一般庶民」の素朴な感情的批判を重視し、三土も、旧厚生省引揚援護局に集うことになった旧軍人グループが靖国神社と国との癒着を作為したといえども、「靖国神社」が戦没者追悼の中心的施設と思う遺族の感情なしでは、奏功しなかっただろうと指摘している。「宗教的・祭祀的な心性は、こうした用語言説の次元よりもずっと深いところで人々をとらえているだろう」と小島は言う。――おそらくは、「靖国問題」というのは、旧右派と旧左派との対立ではなく、「モダンな人」たちと「一般庶民」の感情レベルの齟齬に起因するというのが本質だろう。…………神社神道のルーツの一つとして御霊信仰があるけれども、文久二年の京都霊山で行われた招魂祭においては、討幕派がまだ「賊」であったため、この文脈が生きていたといえるが、彼らが江戸を制圧し、はれて「官軍」に成り上がったときに、慶應四年の江戸城内大広間で行われた招魂祭から、それまでの“日本”の伝統とは、まったく異質の“伝統”の形成が始まる。なんとなれば、敗死した佐幕派の兵は、たとえ「怨霊」と化そうが、薩長土肥藩閥連合政府の前では打ち棄てられたのだから。――しかし、どうだろうか。もし、「靖国神社」を「一般庶民」が“御霊信仰”のひとつとしても、とらえていたとするならば。なぜ<死者>が顕彰されねばならないのか。「戦争国家」の宣揚のためだけか。三土が指摘するように「違憲な「合祀事務協力」」(奥平康弘)がおそらくは遺族感情によって担保されていたように、「戦争国家」の宣揚のためというだけで、「靖国」なるものは果たして生き延びてこられただろうか。――“日本”の「近代化」=「朱子学化」は、もしかしたら、あらかじめから裏切られた「革命」、もとい「維新」だったのかもしれない。