苅谷剛彦『教育再生の迷走』(筑摩書房)レビュー

教育再生の迷走

教育再生の迷走



 アベちゃん政権のときにキモ入りで発足した教育再生会議の迷走というか珍走ぶりは、上杉隆『官邸崩壊』でも詳らかにされているけれども、現代教育学の第一人者が、教育再生会議をはじめとする昨今の教育行政のありかたを批判的に検討したウェブ連載のコラムに、各トピックごとに現時点からの雑感ないし再検討を付したのが本書。教育再生会議の委員に教育学研究者が皆無であったことからもわかるように、露骨なまでの「政治主導」、要するに当時の政権の目玉であったわけだが、これは「反官僚主義」ということでは、教育現場の裁量権の拡大を目指す旧来のリベラル派も、この流れに棹差していたわけだ。教育における「政治主導」のトレンドが不可逆的であるかぎり、私たちの民意のレベルが、子どもたちの享受しうる教育プログラムに反映されてしまうのは、肝に命じるべき。新教基法に定められた「教育振興基本計画」の策定義務は、文科省が「基本法改正とひきかえに、五年間程度の中期的な教育予算の確保」を目指したものだったはず、と著者は指摘する。が、昨年に国会に報告された基本計画には、教育財政の数値目標は示されなかった。財務省に完敗した格好だけれども、となれば単年度ごとの十分な予算確保ということに当然なるが、野党が予算案の対案を出すことで、「これまでの省庁間での調整機能が、国会の場での与野党間の論争に置き換わる可能性がないわけではない」と、著者は希望をつなぐ。まあ、その前に全国学力テストという毎回60億円もの無駄使いをなんとかせにゃいかんが。――にしても、「知識偏重」型の教育体制だった日本の子どもが、「問題解決能力」を問ういわゆるPISA型学力に関しても、世界でトップクラスの結果を示した、というのは、これからの教育行政の議論をする上で、前提としなければならない事実だろう。*1が、他方で、PISA型学力成績上位国のなかで、得点分布の最下層にいる生徒の比率も、日本が最も多いという。ここのところの解釈の相違によって、これからそれぞれ全く違った諸々の教育プランが提出されるだろうか。

*1:同じく「知識偏重」型の韓国、香港も上位クラス。要するに「知識偏重」の「東アジア型教育」国が、PISA型学力上位を占めたのである。