斉藤貴男『分断される日本』(角川書店)レビュー

分断される日本

分断される日本



 新自由主義ネオリベラリズムについて、リバタリアニズム法哲学研究者である森村進は『自由はどこまで可能か』のなかで、「リバタリアニズムに近い立場を指すこともある一方、サッチャリズムへの傾きを持つ保守主義や、さらには権威主義に近い立場を指すこともあって、大変多義的である」と述べている。森村は、この言葉が学問的文献よりもジャーナリズムでよく用いられるがゆえ、という含みをもたせており、またリバタリアン自身が“リベラリズム”という言葉にこだわりをもっているという事情も、“ネオリベラリズム”という語が頻用される背景にあるのだろうが、しかしリバタリアンでありかつ権威主義というアンビバレントは、実は大変に示唆的なのではないか。いわゆる「ゆとり教育」プランのもとになる答申を書いた教育課程審議会の会長は、著者の取材に対して、「平均学力なんてものは低い方がいい」と宣ったという。「できない子のために先生方の手間や予算がかかりすぎたためにエリートが育たなかった」。その後、周知のように「ゆとり教育」は撤回されたが、復活したカリキュラムの部分は、すべて「発展学習」のカテゴリーにいれられた。――本書の(そして著者のジャーナリスティックな意識としての)テーマのひとつにエリーティズム批判があるけれども、私自身はエリート育成には大賛成である。だから「海陽学園」にも基本的には好意的なのだが(もっとも、触法してまで文科官僚を開校準備に動員するなら、いまある国公立学校をなんとかせよと言いたいけれども)、問題は「できない子」も「エリート教育」を受けられる契機が、教育における“コスト”削減=トータルな“生産性”向上という国家経済的な見地により、奪われてしまうことにある。さらに問題は、かように“生産”されたエリートがもたらす果実が、国民全体に行き渡らず、一部の「勝者」によって独占される――否、「勝者」と「国家」によって独占されるということだろう。国内経済(もしくは国民経済)の規模が、国家経営を左右するのは当然の理だが、たとえば国家が総需要=総生産を喚起せんとする政策が、「人それぞれがどうしようもなく持ち合わせて生まれついてきた格差を、国家が税金を使ってより激しく拡げようとしている」のならば、著者同様、それを“不公正”と呼ばざるをえない。「逆正義論」とでも呼びたくなる。…………そして、この“格差”、“持つ者”と“持たざる者”の対立が、「監視社会」における「監視する者」と「監視される者」にスライドする、というわけだけれども、ここは異論があるかな。テクノロジーの発達は、基本的には同一社会内においては、全面的に展開するだろう。「監視社会」においては、「監視者」もまた監視される。要は、超越的な「監視者」は存在しない。東浩紀の言うように、一個人の情報が、データベースに蓄積され、何かあったら、同一キーワードのもとで、諸個人の情報が“検索”されるということだろう。真の問題は、“持つ者”の側が、“検索”によってあからさまになった悪事を、その立場を利用して(あるいはその立場にいるがゆえに)隠蔽してしまう(されてしまう)、社会構造にあるのではないか。――この権力の恣意性が前面化すれば、「監視社会」において、一体どのような行為が“権力”によって、積極的に、その不法性を“免責”されうるのかが興味の対象となりうるだろう。近年になって露骨になったショービニスム的傾向は、このような意識が根底にあると私は思っている。「“癒しとしての差別”」として問題意識を立ち上げる著者とは、ここでも意見が対立する。――蛇足だが、「個人の生き方にペナルティを課す「独身税」という発想」の言いだしっぺは、「パラサイト・シングル」の山田昌弘である。山田はいつのまにか「希望格差社会」とかなんとかいって、“格差”批判へと転向していった。このまま景気回復していったら、またパラシンとか言い出すんだろうね。要チェキ。…………最近、各地方自治体で誕生しつつあるパトロールシステムには私は一定の評価を下すし(ただ長続きしないだろうなとは思っているんですが)、その他の点でも認識を異にするところがあるのだけれども、「この息苦しさは何だろう」という感覚は共有する。リバタリアニズムの基底には、「自己所有権」という思想――というより信念がある。この「自己」を幻想であるとするのが、コミュニタリアニズムと大雑把には規定できる。ただ、このどちらにも回収できそうにない、その落ち着きどころのなさは、おそらくは「自己責任」なるものが、“政治”における「結果責任」とほぼ同致させられているところにあるのではないか。“政治”における「結果責任」の取り方は、選挙民に問うというかたちでなされるが、「自己」というものも、絶えず有り得べきかたちを求められているとするなら、それはプライヴェートな領域の崩壊にほかならない。