ロベルト・エスポジト『近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 』 (講談社選書メチエ)レビュー

近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)

近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)



アガンベンネグリを左右に見つつ、「死政治」へと反転する生政治の袋小路を超克する道筋を示唆する。「コムニタス」=“共同体”とは何か。「相互贈与の義務によって結ばれること、他者に向き合うために自己を離れ、他者のために自己を放棄するほどの原則によって結ばれること」である。“共同体”と同じく、義務、責務=「ムヌス」を語源に持ちながら、それに否定の接頭辞がつくことで構成された「イムニタス」=“免疫”とは、即ち、「リスクの多い他者との接触から自力でみずからを守り、自分とは相反するあらゆる責務からみずからを解放」することで、「自己」を自分自身へ返還する機制のことだ。この「免疫化」という機制は、もともと“共同体”に象徴される、関係性構築の「自由」が、中世以降、個別的(特殊的)権利の保障、つまり「義務からの免除」という意味性に決定的に転換されることを以て、近代政治哲学の「自由」をめぐる思索に奥深く根を下ろしてしまう。原的な「自由」とは、この「免疫化」に抵抗する。「あらゆる実存の単独性に開かれる共同体」こそ「自由という経験」を成す。著者はこの本の前段で、「共同体は欠如そのもの」であると言っている。「非成就であり、負債である」と。つまり、“共同体”が、未完成、未達成であるということが、“共同体”の核心であり、成立要件なのだ。とするなら、「免疫化」への抵抗が、現代という時代の負債にあたることになる。いうまでもなく、この「免疫化」が生政治の論理と結託するとき、生政治は「死政治」へと変容する。さらに最終章では、「人格」という概念に対する根底的な批判と、「非人称の哲学」が提唱されるが、「死政治」における選別の論理の批判を突き詰めれば、「人格」という概念の持つ、「ひとからのへだたりのうちにこそ定義づけられる」性格、「人格とは、人間における、人間そのものについての不一致」は、看過できぬ重要案件になる。ともあれ、文章の密度は濃いが、論旨は明快なので、読みやすい。政治哲学の新たな展開として、押さえておくべき一冊。