竹田青嗣 山竹伸二『フロイト思想を読む』(NHK出版)レビュー

[rakuten:book:12858951:detail]

フロイト思想の脱構築、ではなく再構築である。キーワードは「他者」によって「承認」される「欲望」。ラカンと同じくコジェーヴヘーゲル読解が下敷きになっているけれども、ラカンよりもずっとわかりやすい。さすがに。論の最終的な収斂点は、われわれにとって「自由」とは何か、ということ。竹田が言うように「「無意識」とは、いわば直接的な「自己理解」と対象化された「自己了解」との偏差の自覚としてわれわれに現れる」。このような「無意識」が有意味化されるのは、「われわれが本質的に他者たちのなかで「関係」する身体」であり、「関係配慮的な自己了解」を必要とするからである。「他者」にとって「私」はどう見られているか。「自己」の欲望の解放と、「自己価値」の承認の欲望。どちらに重きを置くかで、「自由」における実践的意味性が違ってくる。ただ、山竹の言う「一般的他者」(≒ラカンの「大文字の他者」)の前では、前者は挫折を余議なくされるだろう。「自由」とは、「他者」たちの間を「私」が生き延びる、その実践的リアリティのことなのだろう。