高橋源一郎『恋する原発』(講談社)レビュー

恋する原発

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 あはは、たぶん燃料棒とファルスを象徴的に同一化させたところが、発想の出発点だと思うぜ。ってことは、メルトダウンは、膣内で去勢されたってことか。大地震、大津波に、この国のファロセントリズムは、失効したってことかも。セックス・プロレタリアートの悲喜劇は、震災チャリティーで報われるだろうか。ゆるい前衛主義的情景を産出し続けているAVと、すべてが“不能”化する世界の風景。しかし、ユーザーが“不能”であることがデフォルトになっているAVの世界からは、“不能”からの回復を企図するのは、邪道ということになる。かくして、カントの理想から大きく隔たり、他者が単に手段化されるわけだ。手段化された他者なしには、AVも見られないし、原発事故も収束しない。