仲正昌樹『「分かりやすさ」の罠――アイロニカルな批評宣言』(ちくま新書)レビュー



 ポストモダン思潮をきっちり分節化して説明して、“大衆”を啓蒙することができる貴重な人。前著『日本とドイツ 二つの戦後思想』(光文社新書)は題名の通りの内容だけれども、例えばどのような社会学の入門書を読んでもいわゆるフランクフルト学派の変遷がイマイチ把握できなかった私にとって、絶好の見取り図を提供してくれた。本書は、タイトルこそ軽い感じがして凡庸な社会批評本のような印象を与えるが、さにあらず、導入こそ時論だが、ソクラテス=プラトンから始まりヘーゲルマルクスベンヤミンアドルノそしてデリダに至る「二項対立」とその“脱構築”的模索、翻ってドイツ・ロマン派の<アイロニー>的批評戦略を詳らかにして、最後に現在の<アイロニー>的批評への批判、への批判で締めくくる。――<アイロニー>というのは現代社会批評のキーワードになって久しいが、この<アイロニー>の本義について余すところなく語る。なるほど、<アイロニー>の精神が18世紀の反=近代的意識から生まれたとすれば、「没入的アイロニー」は「典型的な二〇世紀精神」であるとする笠井潔の指摘は十分に肯える。両者の決定的差異は、(北田暁大の『嗤ナショ』における重要キーワードのひとつでもある)<反省>という態度の有無にあるのだろう。

日本とドイツ 二つの戦後思想 (光文社新書)

日本とドイツ 二つの戦後思想 (光文社新書)


 ……というわけで、『X』論争である。『X』が<本格>であるかないかという論争において、問題設定から、ミステリ総体を<本格>/非<本格>の(擬似)二項対立の図式に措定して、そのうえで、アイロニカルに振舞おうという“戦略”が<評論家>サイドにあったとすれば、笠井ら<作家>サイドが「難易度の低い<本格>」という新たな問題設定を導入したせいで、多少なりとも調子がくるったという面もあるのではないか。“石神”という怪物に分裂した人格像を与えるよりも、これに対する反論(即ち、『X』は「難易度の高い<本格>」である、との証明)か、あるいは、難易度の「高/低」という二分法図式を措定したうえで、アイロニカルに言及する、という戦略をとったほうがいいのではないか。――あ、でもこれはもう笠井がやっているか。…………なにはともあれ、もうすぐ本ミス大賞の投票公開です。ワタシ的には、新本格随一のアイロニストである(と思っている)斉藤肇のコメントが楽しみ(投票してますよね?)。