FM NACK5「鬼玉」スタッフ責任編集 『マル決本』

本日のエピグラフ

 豪華な何か分からない建物はだいたいがラブホかパチンコ屋である。

マル決本

マル決本



 いやー、この本を紹介すると、私がどこぞの田舎者がバレてしまふ。まあ北関東人でありますです。埼玉とは限定しませんが。
 他のエリアの方にざっと説明すると、FM NACK5の夜ワイド「鬼玉」の、メインのメールFAX投稿コーナーのことを「マル決」といって、「○○を考えよう!」「××を決めよう!」と、お題が出されるわけですね。極めて、オーソドックス。FMのAM化が進もうといわれようが、また一地方局の企画なんて、所詮この程度のヌルさユルさ、という謗りをまぬがれているのは、「「なんか犬っぽいね」と言われる人はどんな人か考えよう!」「「木の実ナナ」のようにトロピカルな芸名を考えよう!」「ピカピカの1年生の上をいく、ビカビカの1年生はどんな生徒なのかを考えよう!」などのお題の設定と、“ハガキ職人”たちの脱構築的知的反射神経のアクロバットのなせるワザ。
 パーソナリティのひとり、バカボン鬼塚は、「昔『ビックリハウス』って投稿雑誌がありまして。(中略)80年代の若者たちが面白いなと思ったものを、2000年代の子供たちにこうやって送り出せるっていうのが、とてもイイ」と、もう一方のそれである玉川美沙(←首都圏ラジオの女王だね)との巻末対談で述べている。――“90年代”の若者たち(私はネオリベ・チルドレンとひそかに呼んでいるけれども)の、“80年代”に対する反発心は、この世代の全共闘世代などの先行世代に対する反発心と同型ではあるのだろうが、しかし決定的な差異もまたあるのだろうと思うのだ。この点は北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読めば分かるとおり。――“ネタ”の延長線上で、“ナショナリズム”もしくはショービニズムが語られてしまう昨今、なんと言うか、“ネタ”の精神の本来あるべき“場所”を指し示すという意味で、これもまた、優れた<啓蒙>のありかたであると思う。
 …………ということは抜きにして、コサキンとんねるずウンナン浅草キッド爆笑問題など、数々のラジオのネタ本に親しんできた人は、よまなきゃ損。ラジオ独特の臨場感を、活字にする際、ページの表裏を使い一問一答のレイアウトにして、ネタの持つシュールさのみに特化・還元させた編集も見事。なかにはシュールすぎるのもあるかもしれないけれども、そこは活字に還元できぬラジオの臨場感が現前してしまったところである。…………さて、「本日のエピグラフ」で引いたのは、とあるテーマのマル決回答なのだが、これだけでもガンチクのある文だけれども、テーマを知れば興趣倍増。