北森鴻『深淵のガランス』(文藝春秋)レビュー

本日のエピグラフ

 (前略)けれど真偽を超えたところに存在する価値観、言葉にするにはあまりに直感的な正義、そうしたものが厳然と己の胸中にあることを、佐月は知っている。(P208より)

深淵のガランス

深淵のガランス


 
ミステリアス8 
クロバット8 
サスペンス9 
アレゴリカル9 
インプレッション10 
トータル44  


 芸術作品における真贋の判定、その天秤の針を振らせるのが、「絶対的価値観」である。「しかし、皮肉なことに贋作者がこの絶対的価値観を手に入れてしまうと、鑑定人そのものが犯罪行為に荷担する共犯者と化してしまう」。“絵画修復師”にとって、この「絶対的価値観」とは、おそらく信奉するものではなく、体現させるものなのだろう。とすれば、この意識においては、二重性が孕まれている――「価値観」の“絶対性”に対する猛烈な好奇心と、“技術”に対する飽くなき追求と。…………「《深淵のガランス》」を再現せんとする情熱、古代の洞窟壁画の修復の完璧を希求する情動――主人公を突き動かすこの熱く昏い、“過剰”としか呼びようもないものを目の当たりにすると、バタイユの<蕩尽>を巡る一連の思索を否応なく想起してしまう。…………しかし。主人公のもうひとつの貌である“花師”、これはまさしくコジェーヴが「日本」を評して言及した「(日本的)スノビズム」を体現させる存在ではないか(無論、海外にも同様の職業は存在する)。コジェーヴは「(日本的)スノビズム」は、「無償の自殺」をも可能にするというが、果たして、非生産的<蕩尽>なのか「無償の自殺」を予感させる形式主義への耽溺なのか、主人公に憑いた“魔”も、同じく二重性を孕み、熱く蠢く。…………探偵小説的結構も抜かりなく、冬狐堂シリーズにおける文章の艶も些かも損なわずに、ミステリアスな物語を紡いで堅牢な小説空間を構築、特に表題作は連城三紀彦の名作「戻り川心中」に十分比肩すると思うけれども、反転の構図を劇的に演出せずに、恬淡と流して締め括るのは、作者の資質なのか、<本格>における二十余年の歳月の経過が、カタルシスにおける「価値観」を変容させたのか。