田中啓文『落下する緑』(東京創元社)レビュー

本日のエピグラフ

 「(前略)自分よりはるかに年下のやつが、自分よりはるかにうまかったら」/「習いにいきますね」(「反転する黒」P107より)


 
ミステリアス10 
クロバット10 
サスペンス8 
アレゴリカル9 
インプレッション10 
トータル47  


 ミステリの田中とSFの田中は、そのまま天使の田中と毒田中にわけられるんでしょうか。本当に別人みたーい。ジャズには縁遠い人間な者で、恐る恐る読み始めたんですが、いつもどおりの語り口の上手さに、少しも難渋せずに物語に入り込めた。探偵小説の枠組みの中にベタな人情話をフィーチャーし、さらに成長小説的な味わいを巧みに組み合わせた『笑酔亭梅寿謎解噺』の作者らしさを感じさせるのは、「虚言するピンク」で、“ベタ”さのさじ加減の差配の仕方が見事、イヤミがなくて、絵になる絵になる。そのほか、「挑発する赤」はワルが報いを受けるまでを描くという意味では、変則的な倒叙ものということもできるし、一様な本格ミステリとりわけ<日常の謎>とは一線を画した、様々な趣向や展開が目論まれている。あとジャズといったらあの作家のことをパロるのも、むべなるかな。――だけれども、なんと言っても、永見緋太郎のキャラクターが、この連作の魅力をいや増しているのは間違いない。徒弟制度とエゴイズムの狭間で、もしくはコマーシャリズムという怪物を背にして、己の才覚とプライドのみを拠り所にシノギを削るのが、この世界の理だろう。しかし、冒頭に引用したように、緋太郎は年下でも才のある人間に教えを乞うのに何の屈託もなく、語り手のバンマスは、だめだこりゃと嘆くのだが、彼のイノセンスが、交錯する虚栄心のパトスのパズルを絵解きするのに、最大の武器になっているのは間違いない。例えば、「揺れる黄色」に用いられるトリックは、そのまま犯人の情念の深さを物語っているが、対象物がこの世界での名誉的な地位をシンボライズしていることのインナーな認識自体が目くらましになってもいるのだ。最後に天啓は彼の童心に訪れる。
  また、<文化>におけるスノビズムの問題も深く穿っており、前述の「揺れる黄色」は、まさにこれが確執の淵源になっており、またこれも前述の「虚言するピンク」は、白人のフルートプレーヤーがスノビズムにはまってしまうという設定と、そこからの自己回復が、最もスノビズムを体現している“師匠”の助言によって成される展開は、<芸術>小説としてもカタルシスを与えてくれる。コジェーヴに読ませたいなあ。
  アーバンミステリとして、申し分のない傑作集だ。