山田正紀『マヂック・オペラ』(早川書房)レビュー

本日のエピグラフ

 思うに、ドッペルゲンガーは世紀末の病なんでしょう。東京は急速な都市化が進行して、すべてが空虚な複製のうちにある。(P261より)


 
ミステリアス10 
クロバット10 
サスペンス10 
アレゴリカル9 
インプレッション8 
トータル47  


 前作『ミステリ・オペラ』につづく、「検閲図書館」黙忌一郎シリーズ第二作目。前作は<昭和>史をテーマにしていたが、本作は<昭和>=維新である。前作は「平行世界」をフィーチャーし、本作はドッペルゲンガーが小説世界を攪乱させる。――例えば、奥泉光が一連の諸作で、正史/偽史の反転・浸透・拮抗など<歴史>なるものの位相について、執拗に描き続けているが、それに対して、山田正紀のこのシリーズは、正史といわば稗史、この二つの相克をメインテーマとしているといえるのではないか。発禁対象となった書物をフォローする「検閲図書館」は、<正史>なるものの裏面からの証言者であり、<正史>なるものが廃棄した有象無象の目撃者でもある。『ミステリ――』における「平行世界」とは、<正史>なるものの恣意性ゆえのいわば決定不能性の謂いであり、この「平行世界」を駆け巡るヒロインは、<正史>にとって、極めて“不気味”なものなのだ。そして、このヒロインとともに、数々の探偵小説的ガジェットとギミック、その解決が、「宿命城殺人事件」という名の下に集積し、固有の“作者”を喪失し抽象化されるのを目撃する読者も、また。つまり、過剰なまでの<探偵小説>的意匠は、<稗史>なるものの増幅装置であり、「宿命城殺人事件」とは、<正史>を超えようとの、<稗史>たちの集合的な無意識の奇蹟なのだ。『ミステリ――』の結末で、「検閲図書館」たる黙は、「探偵小説」として最終章を完成させる。
  それでは、本作における「ドッペルゲンガー」とは、何を意味するのだろうか。――作中で黙は、「二十世紀の大都会ではおよそ人から“自分”というものが剥奪されてしまう。もうこの時代には唯一無二の“自分”などというものはどこにも存在しない。」と告げる。「すべてが空虚な複製のうちにある」。アイデンティティ・クライシス。分裂=統合失調した主体。作者は、「昭和維新」の渦中にいた軍人たちに、または、芥川龍之介に、萩原朔太郎に、そして江戸川乱歩に、ドッペルゲンガーの影を見る。この影たちを操るのが、前作にも現れた、右翼フィクサー占部影道である。「空虚な複製のうちにある」主体を利用して、<正史>を生み出そうとするのだ。このことは、ドッペルゲンガーに憑かれた主体には、<稗史>を紡ぎだすことが叶わぬことを暗示してもいるのだろう。不吉な<正史>に対抗する<稗史>は、実に冒頭のN坂の殺人事件に、二たび<探偵小説>的意匠に託されることになるのだ。黙示録的な妄想を実現せんと設けられる“聖域”に、情欲に駆られた卑近な犯罪が汚穢として残る。このための大胆不敵なキャスティングに、喝采。――にしても、怪人二十面相の、アルセーヌ・ルパンとは似ても似つかぬ虚ろな不気味さに、改めて納得した次第。
 いやー、それにしても、この圧倒的リーダビリティときたら! すべての物書きたちに見習ってもらいたいもんです。